ヤンキーになりたかった

食う寝る遊ぶエビデイ

最近のこと(2019-08-25): オードリーと日向坂46にハマる

暑い、暑いと書くつもりだったのに、気づけば連日猛暑日だったあの頃に比べると幾分か涼しくなってしまった。

真夏のピークが去った――天気予報士がそんな風にテレビで言ったなら、夕方五時のチャイムがなんだか胸に響くのかもしれない。

しかし、オフィスにいては、そんな音色を聞くこともない。

 

このあいだ、海外に行く機会があった。

そこでの思い出話はいくつかある。

それらに順位をつけるなら、上位には観光名所やその土地ならではの体験が来て然るべきである。

もちろん私の中の1位も、そういう現地ならではの体験だ。

しかしじゃあ2位は? となると、そこに、向こうで若林のエッセイを読んだことが入る。

 

若林とは、お笑いコンビオードリーの若林正恭のことである。

彼のエッセイ『ナナメの夕暮れ』を、向こうのホテルで読んだ。夜、ロビーで、椅子に腰掛け、夜風に当たりながら。

これがとても良かった。ぜひ読んでみてほしい。

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

  

さて、私は最近、オードリーにハマっているようだ。

M-1の決勝から10年、今更かよ、という気もするが、そうなんだから仕方がない。

これはもう認めるほかない。

 

きっかけは、今年の春に文庫化した、佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』だ。

明るい夜に出かけて (新潮文庫)

明るい夜に出かけて (新潮文庫)

 

この本の主人公は深夜ラジオリスナーであり、元投稿職人だ。

しかし、あるトラブルが原因で引退し、その影響もあって大学は休学中。

現在は親元を離れて一人暮らしをしながら、コンビニアルバイトをしている。

 

作品中では、アルコ&ピースのオールナイトニッポンという実在したラジオ番組がフィーチャーされている。

この番組に投稿を再開してみて、読まれなくて悔しがるとか、そんな描写がいちいち「良い」。それは、ツイートや記事が刺さるかってこととほとんど同じだから。

だから、ラスト放送とされた場面は、すごく熱い気持ちになれた。

 

GWに、静岡に演劇を見に行った。静岡県庁の周辺だったかの路上でパフォーマンスが展開されるというもの。

そこでロロのいつ高シリーズである「グッドモーニング」を観た。

作中に、ハライチのターンが出てきた。

 

それらを読み、観劇し、私は深夜ラジオを聴きたくなった。

そこで、作中に出ていたハライチのターンないし、有名な伊集院光深夜の馬鹿力とかを聞けばよかったのだろう。実際、ツイッターでは伊集院光を勧められた。

しかし、どういうわけか私が聴いたのは「オードリーのオールナイトニッポン」だった。

『激レアさんを連れてきた』の若林と弘中綾香アナウンサーの掛け合いが好きだったこともあるのかもしれない。

そして、このラジオを聴いて、なんだかすっかりオードリーにハマってしまった。

6/30の、ラゾーナ川崎のイベントにも行った。

女子中高生に「なんで俺ら人気ないんだと思う? 女子中高生にさ」みたいなことを聞いたら「ファッションがダサい」って答えが来たのとか最高だった。

 

さて、ある出張の日の朝、私は新幹線に乗り、この時間から仕事をしてもどうせ勤務時間にならないし――という舐めた態度で、radikoのタイムフリーで「オードリー~」を聴いていた。

その回のオーピニングのフリートークでは、若林が「日向坂で会いましょう」で微妙な空気になって終わったことに触れられていた。

 

それを聞いたことで、なんだか興味を持って「日向坂で会いましょう」を見始めて、今日に至っている。

 

上に貼った「アイドル冠バラエティ番組」の記事には、そんな伏線があったのだ。

そして、ここ最近の私ときたら、すっかり「日向坂で会いましょう」にハマっている。

 

彼女らのバラエティ能力は、おそらく番組内の内輪感に拠るものが多いのだと正直思う。

この「クラス感」は、それこそ上に引用した記事のとおりだ。

しかし、それでもその番組すなわちクラスを良いものにしようとボケ続ける彼女らを見ると、ときにじーんと来てしまうし、笑わされてしまうのだ。

 

ニブモネアの前半は本当に素晴らしかった。

やっぱり松田好花と渡邉美穂の「オードリーの春日さんですよね」は何度見ても笑える。

それに、その少し前にあったバーベキューロケ企画も最高だった。

あと、特技を見つける回で野球をしたことと、

小坂菜緒のブログから始球式をしたい等の野球の記述があったことから、

いきなり番組企画として野球回をはじめるあたりは、なんだかそれこそ深夜ラジオみたいな感じがあって面白い。

あと、先述したが「オードリーの春日さんですよね」みたいな春日イジリも板についてきた。

やっぱり、オードリーのオールナイトニッポンを、アイドルを入れてテレビ化したみたいな感じがあって、非常に深夜っぽくて面白いのだ*1

 

だからこそ、なおのこと私は、日向坂46にはオードリーから「入った」のだと主張したくなるのである。

とはいえ、これがどきどきキャンプ岸学みたいな「かっこつけ」に聞こえることも承知している。

「アイドル好きになったことねえからなあ~」みたいな。

 

オードリーのオールナイトニッポンでは、しばしば下ネタが話される。

たとえば春日が結婚し、クミさんの実家に週4ぐらいで帰るようになったが、そのときの「自分磨き」はどうなるのか、とか。

そのための動画をインターネット上で漁ることを「エロパソコン」略して「エロパソ」もっと略して「EPC」と言い、ときどき挟む猫の動画を探すことを「NPC」を言うか。

「死んでもやめんじゃねーぞ」というコーナーでは、上記の岸学が、「かっこつけ」キャラとしてよく登場する。

このコーナーは、春日がビトタケシ*2のマネをしながら「おい、〇〇!XXX、死んでもやめんじゃねーぞ!」と言い、それに対し若林がコメントを入れ、「というね」と春日が付け足し次のネタに行く――そんな流れで行われる投稿コーナーである。

何故、そうなったのかは、たぶん調べるとすぐ出てくると思う

このコーナーも、下ネタというか、風俗とかそういうネタがとても多い。

例えば「おい、岸学! 風俗の待合室で、「え、もう俺の番なの?」と言いながら、めちゃくちゃ勃起していること、死んでもやめんじゃねーぞ!」みたいな。

 

先程、「日向坂で会いましょう」を「オードリーのオールナイトニッポンを、アイドルを入れてテレビ化した」と表現したが、もちろんこんな下ネタや風俗ネタはない*3

なぜならば、そこは、ファンが夢想する架空の女子校だから。

だから、下ネタだけが深夜ラジオの醍醐味では当然ないけれど、マイルドになっていることは確かだ。

だけれども、オールナイトニッポン0で、「死んでもやめんじゃねーぞ」ってフレーズを使った松田好花さんを、私は推していきたいと思います。

「ニンニン肉のカーテン ニンニン肉のカーテン アトランティスウォーズマン」の可愛さたるや!

 

最近はまあ、こんな感じです。

 

*1:だから、内輪感は大正解なんだと思う。

*2:ビートたけしのモノマネ芸人

*3:「ひらがな推し」時代に「スナック眞緒」という企画はあったが。

退職エントリーを書きたい日記【その2】: ぼんやりとした悲しさについて

当たり前のように日中の最高気温が25℃を超えるようになり、いよいよ夏到来の予感を無視できなくなってきた。

それはつまり、以前もブログで取り上げた元同僚の女性が会社を辞めてから、そろそろ1年が経とうとしているということを意味している。

 

今年のはじめ頃、彼女も交えて飲む機会があった。

彼女はとても元気になっていて、転職した先での仕事も充実しているようだった。

誠に結構なことだった。

 

だから、退職した彼女の話は、もう「終わった話」のはずなのだ。

だって、もう現在進行形で「不当」な「扱い」をされ、現在進行系で苦しむ彼女はいないのだから。

それなのに私は、いまでもしばしば彼女のことを思い出し、ナーバスな気持ちになっている。

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私がナーバスな気持ちになるのは、主に二つの理由からだ。

一つは、それでもその「扱い」が実際になされたという事実に変わりはないから。

そしてもう一つは、その思い出すという行為が、彼女の道具的利用にほかならないからだ。

 

私はきっと、いかるために彼女を利用している。

彼女についての会話が行われた瞬間を思い出す――つまり怒りを現存させるために、彼女を出汁にしているのだ。

そのことが、その都度、自己嫌悪を引き起こす。お前はいったい何様なのか、と。

 

お前はいったい何様なのか。そんなお前に、怒る資格などあるのか。

そんなことを考える。そのたびにブルーにこんがらがってしまう。

けれど、それでも、私は、腹立たしいなあ、と思うことをやめられないでいる。

 

そのような「腹立たしい」ことは、なにも上述の「彼女」にのみ降りかかるものではない。

例えば、女性社員に「デブ」なんて話しかけるような、そんな感じの――。

あるいは、「そう言ってもさ、あいつ、ブスじゃん」と女性社員の陰口を叩き、プライドを甘く慰撫するような、そんな感じの――。

そういう言説に触れるたびに、ひどくうんざりしてしまう。

そしてそれこそが、私が転職したいな、と思う――つまり、この会社に居たくない、と思う理由の一つである。

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そんなものはどこにでもあるよ――と言われるようなことなのかもしれない。

実際、とある別の女性社員に「デブ」と呼びかける社員がいるのはどうかと思う、という話をしたところ、「そんなのはどこにでもあるんだよ」なんて言われてしまった。

だけれど、そんなのはやっぱり変だよな、と思う。

 

「前職はひどかった」なんて、知り合いがツイートしているのを見かけた。

曰く、そこでは「嫌な言葉」が日常的に飛び交っていた、と。

そしてその話はこう結ばれるのだ。「いまの職場はそうじゃない(から良い)」みたいな。

その人のツイートを信じないわけじゃない。

しかし、そんなものの存在を、あまり期待しきれないのも確かである。

なぜならば、期待はすなわち失望への出発点だからである。

 

だから、そんなものはやはりないんだろう、と考えてしまう。

「UFOの軌道に乗って あなたと逃避行 夜空の果てまで向かおう」

志村正彦はそう歌ったが、宇宙が膨張を続ける以上そんなものがないみたいに。

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これはひどく抽象的な問題だ。

これを例えば、転職エージェントに言ったところで、困ったような顔を浮かべられ、そしてもっと具体的な「条件面」を問われることだろう。

年収とか、スキルセットとか、勤務地とか、そういう「募集要項」の項目と対応するようなものを。

 

それらについて、ある程度のことを話すのは簡単だ。

現在の年収を述べ、そこから少し上乗せした額を「希望年収」とする。

スキルセットには、以前やった仕事から抽出してまとめればいい。

勤務地は、東京のままでいい。都区内ならば通勤に大して苦労はしなかろう。

そういうことだけを言っていればいい。

 

けれど、やっぱりあの言葉は嫌だなあ、と思うし、こんなところは嫌だな、とも思う。

その気持ちが消えてくれるわけじゃない。

これこそが、私が「ここはいやだなあ」と思ってしまう、わりと大きな理由なのだ。

 

それに、他の理由だって、まあまあ抽象的なものだ。

広告が絶望的にダサいのが嫌だ、とか。

開発しろって決定事項として降りてきた製品のコンセプトが気持ち悪かった、とか。

いつもダサいことばかり企画する人がいてとても嫌い、とか。

まあ、いろいろとある。

あとは、あまり会社とは関係ない、もっと個人的な気持ちもあるのだが、まあこれはまた改めて書こう。

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転職の動機になりそうな、もっと年収の高いところの行きたい、とかはあまり思わない。

勤務先の給料が高いわけではない。

ただ、就活の頃に就職四季報で平均年収を熱心に見ていた知人との、その項目に対する熱量の差などを鑑みると、私が収入やお金に比較的無頓着なだけなのだろう。

 

キャリアアップだとか収入増に有効だ、と散々言われたところで、動き出せるわけじゃない。

事実、このご時勢にあって、私は英語の勉強にまるで身が入らない。

ただ危機感を募らせ、摩耗していくのみである。どこか報酬系みたいなのがバグっているのかもしれない。

 

このぼんやりとした、「いやな気持ち」を引きずって、また私は会社に行く。

「書きたい日記」のナンバリングは大きくなり、しかし転職サイトなどには登録していない。

上述の気持ちを、どう具体的な「希望」へと落とし込むべきなのか、いまだにわからないままである。

 

最近の私は、だから、いつもぼんやりと悲しい。

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アイドル冠バラエティ番組というファンタジー、あるいは加藤史帆のホームランについて

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憂鬱で仕方ない日曜日の夜に、テレビ東京でこんな名前の番組が流れている。

「乃木坂工事中」「襷って、書けない?」「日向坂で会いましょう」

みんな、坂道グループの冠バラエティ番組だ。

 

これらの番組はみな、男性芸人と10~20代前半のアイドルたちが繰り広げるトークバラエティの形式を取る。

立ち位置としては、男性芸人がMCをして、アイドルたちはひな壇を務める。

芸人の年齢が高くなりがちなのは、MCを回せる実力が求められるからだろう。

 

番組中、アイドルたちは制服を模したような衣装に身を包む。

芸人らは、よくスーツないしビジネスカジュアルライクな服装に身を包む。

だからだろうか。

私はそこに、「理想的なクラス」のようなものを見出してしまう。

MCを務める芸人を担任とし、彼女らが生徒であるような、そんなクラスを。

 

そのクラスには間違いなく裏がない。

なぜならそのクラスは、あの収録スタジオにしか、そしてカメラが回っているとき=表の時間にしか存在しないからだ。

仮に、メンバー間に仲違いなどがあったとしても、フィクションとして作られた場にしかそもそも存在し得ないクラスには、それは表出しない。

その時空は、まぎれもなくファンタジーだ。

素晴らしい、和気あいあいとしたクラスルームの――。

 

そしてこの前提において、彼女らのバラエティスキルの低さは、武器になる。

グダグダ感を隠しきれない彼女らのトークや持ち時間は、今にして思えばなにが面白かったのか言語化しがたい、笑い転げたあの頃の時間を想起させる。

それが「クラス」感であり、教室感という物語の強度をむしろ高めるものとして作用するのだ。

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また、しかし、そのグダグダな時間もMCが存在するおかげで見られるものつまり番組になる。

そのトークを見て、彼女らはバラエティを学んでいく。

さながら、巣立つ時期に向け餌取りのレッスンをする親鳥とひな鳥のようである*1

 

乃木坂46紅白歌合戦に出たとき、NHKホールの客席側に設けられたブースにいたバナナマンが彼女らに手を振っていた。

彼らを見つけたメンバーは、少し感極まったような顔をして、手を振り返していた。

それはもちろん、「乃木坂工事中」およびその前番組であった「乃木坂って、どこ?」においてバナナマンがMCを務めていたからだ。

番組で共演しているから仲がよい、というだけの話では勿論ない。

彼女らは今の地位に至るまでに、そのバラエティ番組で鍛えられたわけだ。

師弟関係――つまり先生と生徒である*2

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 さて、なぜ私がこんなに熱弁をふるうかと言うと、つい先日(6月9日)、「日向坂で会いましょう」を見たからだ。

その回では、メンバーの「意外な一面」を見つけよう、という企画が展開されていた。

デビューし他番組での露出も増えてきたメンバーが、同じ特技ばかり披露して飽きられることがないよう、「2周目」以降もテレビ的に使える武器がなくては――というストーリーだった。

 

そのなかで富田鈴花が「野球のピッチング」が得意だとアピールし、MCを務めるオードリーの若林とキャッチボールをすることになった。

キャッチングは上手いしそれなりには投げれて、「良い感じ」。

そこで若林は、他にも投げてみたい人いる? とメンバーに問いかける。

すると、高本彩花柿崎芽実、佐々木久美、東村芽依加藤史帆が手を挙げる。

この加藤史帆が素晴らしかった。

 

まず3回連続で、地面に叩きつける殺人投法。

絵と音のインパクトも、天丼なのも素晴らしい。最高*3

そして、その加藤、「バッティングのほうが得意」と主張し、実際に打席に立たせ春日が投げてみたときの画像が、こちらである。

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腰が入り、体の前に壁を作り、バット が身体に巻き付くように回る。

まさしく完璧なホームランだった。

もうこんなの笑うしかない。

殺人投法からのギャップが完全に効いている。

最高だ。完璧に持っていかれた。ボールも、笑いも。

 

アイドルバラエティはグダグダなことが多い、と先ほどは述べた。

しかしときどき、こういう「完璧」な瞬間が訪れるのだろう。

やっぱりそれは、教室で本当に稀に起こる「化学反応」みたいに*4

 

この「完璧」さ、オードリーの2人が腹を抱えて笑い転げていたのも良かった*5

この「楽しさ」は、何よりのエンタテインメントたりえる。

「こういう番組」の楽しみ方を解した気がした、そんな日曜日の少し楽しい夜だった。

 

*1:ここでは言うまでもなく、バラエティスキルは、単純な面白さのスキルと、キャリア形成に必要な「必須科目」を兼ねている。 

*2:先ほど、「クラス」は当該番組のスタジオにしか存在しない、と述べた。だから厳密には、ここでバナナマンと乃木坂の師弟関係を持ち出すのはやや卑怯ではある。だが、これは紅白という「晴れ舞台」だからあり得たものだとして了解して欲しい。安全で、楽しいクラスと、その晴れ舞台しか存在しない――そんなクラスはやはりファンタジーだ。

*3:「俺的にはね、あと8回被せたい」と笑いながら言う若林も最高。

*4:学校の近くに雷が落ちたとき、爆音がするなり立ち上がり、拳を突き上げ「ドーンッ!」と叫んだクラスメイトを思い出す。字面にすると別に面白くもなんともないが、あの瞬間はとても面白かった。

*5:というか、私は単にオードリーが好きなのである。このままだと、日向坂の最推しがオードリー若林になりかねない。

続・物欲日記: iPad Airを買った

半月前ぐらいだろうか。

私は、タブレットを買おうかどうか迷っているという旨の記事を投稿した。

 

投稿してから、私はようやくタブレットについていろいろと調べ始めた。

OSやメーカーはどんな種類のものがあるのか、とか。

サイズ感はどのようなものか、とか。

物理的なキーボードをつけるとすればどのような形になるのか、とか。

まあ、そんなところを、ようやく。

 

そして去る6月2日の日曜日、下に引用するツイートのように、私はついにiPad Airを買った。

 

まあ、iPhoneをずっと使っているのだから、特に迷う理由もなかったのだろう。

実際、同僚に相談してみたところ「iPadでいいんじゃない?」と即答された。

あとの問題は、どのiPadを買うのかであった。

Smart Keyboardを使いたかったので、候補はiPad ProかiPad Air。Proはあまりにも高いので、Airにした。

まあ、無難な選択だったろう。

 

受け取ったのは新宿マルイ本館に入っているApple 新宿。

WEBページから購入して数十分もすれば受け取り可能になるのは便利で良い*1

受け取る際、こんな会話をした*2

スタッフ*3iPadは買い替えですか?」

私「いえ、初めてです」

スタッフ「使い方は大丈夫そうですか? スマートフォンは、何をお使いですか?」

私「ずっとiPhoneです」

スタッフ「でしたらば、同じiOSなので、操作感はほとんど同じなので、大丈夫だと思います」

そう。まさにそれを考えてiPadにしたのだった。

受け取りは特にトラブルもなく完了した。

6月2日の日曜日のことだった。午後8時ごろのことだった。

 

さて、そのほとんど翌日の6月4日午前2時から、Apple WWDCのキーノート(基調講演)があった。

WWDCとは、Appleの開発者向けカンファレンスであり、新バージョンのOSなどが発表される初日の基調講演は毎年注目を集める。

その基調講演で、今年はiPad用の新OS、iPad OSが発表された

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まあ、落ち着こう。落ち着こうじゃないか。

よくよく考えてみよう。

いくら従業員といっても、あのスタッフのお兄さんはこのことを知る由もないだろう。

だから仮に、WWDCの約30時間前に「同じiOSなので大丈夫」と豪語したことに、何の裏もないだろう。

しかし、なんだろう。無性に負けた気がする。

何より、なんか綺麗にオチがついたみたいで、ネタ感があるのが悔しい。

もちろんそれは、iPad OSがフェイクニュースっぽいというわけじゃなくて。

 

「マジかよ……」

と驚きを隠せないまま、基調講演をまとめたネット記事を読んでいく。

 

まず分かりやすいのがホーム画面の強化。

iPadのホーム画面はわりと隙間があり無駄の多い印象を受けるものだったが、天気やTODOなどを表示するウィジェットをピン留めして表示できるようになった。これでホーム画面の有効活用ができる。

また、画面を左右分割しアプリを使用できるSplit Viewが強化された。

Slide Overを使えば、画面右側に細長くアプリをピン留できるので、これまたTODOやスケジュールをずっと表示させられる。また、そこからiOSみたいにアプリを選択できる。

このSplit ViewとSlide Overはマルチタスクを行う際に有用になりうる。

加えて、Sidecarという機能が搭載され、Macのサブディスプレイとして使用できるようになった。またこの機能を使用すれば、iPadを液タブとして使用したときの利便性が向上する。

さらに、「ファイル」というアプリがカラム表示に対応し、使い勝手がmacOSのFinderアプリに近づいた。また、USBメモリやSDカードにも対応するらしい。

まあ、そんなところだそうだ*4

 

第一印象が悪すぎた割には、なかなかの良アップデートというか、路線であるようだった。

私も、何かしらの作業に使えればと思い購入を決めた口なので、iPadをコンピュータに寄せること自体は、比較的歓迎である。

そう。改悪されるよりも何倍もマシだった。

しかしそうすると、あの「マジかよ」のモヤモヤ感の持っていきかたが分からない。

なんか、いじめっ子キャラがいじめっ子ポジションのまま死んだくせに、あとからめっちゃいい奴だったって分かったみたいな*5

 

まあ、個人的に思うところがないわけじゃない。

Sidecarと言われても、Appleファンはテンション上がるだろうけど、私はmacを持っていないから恩恵にあずかれない、とか。

Apple Pencilのレイテンシーが20msから9msに改善されたと聞いても、そもそもPencilの利用予定ないしな、とか。

もちろん、すべての機能が自分のためだけにあるのでは決してない。それは理解している。

そこにあるのは、ただ一抹の寂しさだ。

とはいえ、これを機にPCをmacにするとかをする気はない。というか、そんなことをしたら賞与が死ぬ。

高いんだ、Apple。マジで。というか、日本の給料が安い。もっと金をくれ。にゃ〜んって感じだ*6

そんな感じの、この記事は、WWDC感想記事だ。

 

ちなみにこの記事は、せっかくだから、ということですべてiPad Airで書いてみた*7

使用感は今のところ悪くない。

Zキーが超絶打ちづらいとか、まあ思うところがないわけじゃないが、こればかりは今後慣れていくほかない。

まあ、前回はタブレット買いたい欲を恋に喩えたが、ぜんぶ理想通りの人と恋人になれるわけはないのだ。

たいして上手くオチちゃいないけれど、ちょっと前の流行歌を貼ってお茶を濁して、今回はこのあたりで。

 

 

*1:もっとも、ポイント等を加味すればAmazonや家電量販店のほうがお得なのだが。

*2:言葉はかなり割愛している。スタッフの言葉は、実際にはもう少し丁寧だったはずだ。

*3:実際、Appleの店舗にいる従業員はどう呼称すれば良いのだろう? マクドナルドならば「クルー」だろうが。

*4:詳細は、もっとこういう内容を専門とするサイトの記事やApple公式サイトを参照してほしい。

*5:相変わらず喩えが酷すぎる。

*6:職業がバレる。

*7:編集や推敲時には一部、iPhoneアプリを使用した。

『プロメア』感想: 堺雅人の口から蒙古タンメン中本のスープ

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今石洋之監督、中島かずき脚本、そしてTRIGGER制作の映画『プロメア』を観てきた。

これが良すぎて、とても興奮してしまって、さめやらない。

 

とても「楽しい」映画だった。

無論、とても面白く観たのだが、感想としては「面白い」より「楽しい」が先に出る。

今回は、そんな『プロメア』について書いていきたいと思う。

 

なお以降の記述には『プロメア』のネタバレを含む。

 

 『プロメア』の世界には、炎を操る新人類バーニッシュが存在する。

彼らは30年前に現れ、彼らの出現に端を発する世界大炎上により多くの人命が失われた。

プロメポリスでは、放火テロを繰り返す過激派バーニッシュ集団マッドバーニッシュに抗するため、高機動救命消防隊バーニングレスキューが消火活動を行っていた。

バーニングレスキューの新米隊員であり、プロメテウスの司政官クレイ・フォーサイト堺雅人)に命を救われたこともあるガロ・ティモス(松山ケンイチ)は、火災現場でマッドバーニッシュの首魁であるリオ・フォーティア(早乙女太一)と出会う。

この2人の出会い以降、物語は大きく動き始める――。

あらすじや世界観はこんなところだ。

 

『プロメア』は様々な「解説」や「批評」を書けうる映画である。

ぐるぐるカメラワークは観ていてワクワクする。

炎が三角形で表現されているところなど、露骨に何か「意図」がある。

「火」「消し」の言葉遊びも、聞いていて心地が良い。

しかしそんなことは、ここではあまり書くつもりはない。

そういったモティーフや技巧について、私が書くよりより上手にしたためられたブログも、もう既に世間には溢れていることだろう。

それに、上に挙げたものに価値がないとは言わないが、映画を観終わったあとの私は完全にそれどころじゃなかった。

堺雅人がヤバかったからだ

 

映画では冒頭、世界観がざっくりと語られ、そのまま現代のバーニッシュによる火災テロ事件のシーンへと移る。

このシーケンスが、いきなりの澤野サウンドも伴ってとてもかっこいい。

そこから始まるアクションシーンも、ワクワクさせられる。

 

この戦闘でガロはリオを捕らえ――身柄はフリーズフォースが連行するが――プロメポリスの司政官であるクレイ・フォーサイトから勲章を受ける。

ここに来て、初めて堺雅人のセリフが聞ける。 

 

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堺雅人なんて「有名な」俳優を起用している時点で、クレイは単なる司政官であるはずがない。

だから何か裏のあるキャラクターだという予測は立てていた。

そして堺雅人だし、まあそのあたりは上手に演じるだろう、ぐらいに公開前から思っていた。

公開直後から、堺雅人がヤバいというツイートがたくさんタイムラインを駆け抜けていった*1

クレイが初めて口を開いたとき、私は「あ、堺雅人だ」と思い、そんな一連のツイートのことを思い出していた。

 

スタッフの名を並べた時点でそうならないと確信できても良かったような、当初の私の推測を述べさせてほしい。

堺雅人と言うと「リーガル・ハイ」は当たり役だった。毒舌で偏屈で、ひどく早口でまくしたてるように喋る人格破綻者の弁護士・古美門研介。

しかし、彼は当然そんな大味の演技しかできないわけじゃない。むしろ、あまり大きく表情を変えるでなく、何かが感を雄弁すぎるほど語る、そんな演技も魅力なのだ。

それは些細な筋肉の動きか、あるいは声色の変化か。

仔細なことを論じられるほど私は演技には明るくないが、兎角、クレイの糸目を見ていると、そんな繊細な演技が「ヤバい」んだろうと思っていた。

 

まったく愚かな予想だった。

映画中盤以降、まあ色々紆余曲折を経て、ガロとクレイは対立することになる。

そしてそれ以降の、堺雅人、もうまじでノリノリなんである

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 驚くべきほどに順調な出世ルートを歩んできた司政官であり、ガロの命の恩人であるクレイが理事長を務めるフォーサイト財団が、バーニッシュに対し人体実験を行っていることを、ガロはリオの口から聞かされる。

その話は果たして本当であり、彼はマグマの活動が活発し半年後には人の住めない星となる地球に見切りをつけ、10,000人の人類を乗せたノアの方舟たる宇宙船パルナスサス号で、4光年離れた星へと移住するパルナスサス計画を進めていた。

そして、バーニッシュをその宇宙船に不可欠であるワープ装置の動力源とすべく、実験を繰り返していたのだった。

さらにクレイは、プロメテウス博士(古田新太)を殺害し、博士の研究成果を横取りしていた。

まあ、とんでもないクソ野郎だったわけである。

 

この「クソ野郎」という一方的かつ完全な「悪」という構図が、作中ずっと存在するわけじゃない。

そもそも『プロメア』においては、絶対的な正義なるものは切り崩される。だから、完全なる悪なるものも存在し得ない*2

しかし、目的のため人命を軽視する者と主人公の対立は少なくとも必至である

 

ガロとリオは、プロメテウス博士の開発したデウス・エックス・マキナに乗り込み、パルナスサス計画を実行に移さんとしているクレイを止めにいく。

クレイは、デウス・エックス・マキナ改めリオデガロン*3を妨害すべく、自身もロボット・クレイザーX*4に乗り込み対峙する。

ここからの演技がすごいのである。

まあ、わかりやすく言えば「熱演」につぐ「熱演」、「大熱演」。

あまりの熱演ぶりに、私は思わず笑いそうになり、口を抑えながらスクリーンを見つめた。

 

べつに演技におかしなところなんかなかった。

ゲスト声優に対してよくある「棒読みで草」なんてことを思ったわけでは全然ない。

むしろ反対に、なんかもうすごすぎて、そして楽しすぎて笑けてきたのだ。

サッカーの試合で、もうわけがわからないゴラッソを見て思わず笑ってしまうみたいに。

そしてこの堺雅人、加減とか全然知らない。

もう全セリフ、全力でこっちのことを殺しにきている。

堺雅人の口から内閣総辞職ビーム。

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堺雅人の演技のテンションは昂ぶっていく。

もうこれが全力だろ、と何回も思う。

しかし、セリフを発する度にその「全力」を超え、どんどん勢いを増す。

「もっと頂戴」なんて言葉があるけれど、まじで「もっと」くれるのだ。

サービス精神の鬼。KAT-TUNのライブでいうと、「Real Face」を連チャンでやってくれるぐらいすごい。

「ギリギリでいつも生きていたい」そのギリギリのはずのラインすら更に「思いっきりブチ破」ってくる。

もうやばすぎてこちとら「泣き出す嬢ちゃん」になるしかなくて、田中はJOKER。

KAT-TUNのライブ知らんけど。

 

ここですごいのが、堺雅人がどこまで行ってもちゃんと堺雅人であることだった。

アニメに合わせてか大仰にやった部分はあるだろう。それが「全力」を感じさせたところがないとは言えないだろう。

しかし、その声はちゃんと堺雅人だった。無理がなかったのだ。

だから、これは最初から最後までキャラクターの延長線上にある声なのだ。

そしてそれでいて、いや、だからこそ、TRIGGERであり中島かずき作品のキャラクターなのだ。

あぁ! 堺雅人がロボットに乗っている!

堺雅人が、彼らの「いつものやつ」をやっている!

めっちゃ見たいやつじゃん!

そんな愉快な気持ちになり、この「凄まじさ」と相まって、とても笑いたくなったのだ。

 

そんなわけで、堺雅人の演技を前に、私のテンションはぶち上がってしまった。

映画館じゃなければ、その場で拳を突き上げたかった。

「Fuuuuuuuuuuuuuu!!!!!!!」と叫びたかった。

 観たいものを見せてくれたことに打ち震え、その喜びを表明したくなったのだ。

したいのは応援上演じゃない。

持ち込んでいいのはサイリウムじゃない。酒かコカ・コーラだ。

そして、ステレオタイプアメリカ人が如く叫ぶのだ。

「Fuuuuuuuuuuuuuu!!!!!!!」と――。

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さて、肝心のストーリーや意匠なんかについては書かないと先述したが、正直なところ、 あまり憶えちゃいないのだ。

ちゃんと解説とかしてくれているブログを読むと、ああそうだったね、なんて思い出せる。なかなか手に汗握って観たような記憶もある。

しかし私が途中から、ストーリーとかどうでもいいモードに入ってしまったのだ。

アクションでどっひゃー! って言いてえし、堺雅人堺雅人だし、もういいじゃん、みたいな。

ラストシーンは澤野サウンドが鳴り響く中、もう「ごっつぁんです」しか言えない。 完全なるK.O劇。

中国人の経営している中華料理店で、もうバカみたいな量の料理が出てくるあの感じ。

 

演技のテンションも高かったが、アクションシーンのカロリーもなかなかに高い映画だったことは記憶している。

だからまじで胃もたれを起こしかねない勢いではあるのだが、翌日もまた観たいとも思わせてくれる。

これがマジで意味が分からない。

たぶん蒙古タンメン中本に通う激辛好き共もこんな感じ。変な物質がたぶん頭の中で出て、すごいやばかった。

新手のクスリ。大麻よりプロメア

 

そんなわけで、堺雅人*5がやべえ映画『プロメア』をよろしくお願いします。

ちなみに映像もやべえし音楽もやべえし、いろいろやべえです。

てか、やべえんで。はい。

 

*1:こちらのtogetterを参照のこと。

*2:これらの記述については、こちらのような、ちゃんとした解説を含む他のブログの感想記事を参照してほしい。

*3:改めたのは、そのままのロボットの容姿だとガロのバイブスが上がらなかったため。

*4:ガロが勝手に命名

*5:堺雅人ばかりフィーチャーしたけど、彼が決して浮いてはいない、つまり彼と張り合いきった松山ケンイチとか早乙女太一もすごい。無論、今石・中島コンビ常連勢もすごいし、超楽しい演技合戦で、佐倉綾音は可愛い。

最近のこと(2019-05-26): 音楽を聴きながらじゃないと会社に行けない他

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最近、音楽を聴きながらじゃないと、会社に行けない。

何かから身を守るように、部屋を出るなりイヤフォンをする。

Amazonで買った、1万円台のワイヤレスイヤホン。

 

聴きたい曲が特にあるわけじゃなくて、ただ何か聴いていたいだけだから、選曲にはいつも困る。

毎月作っているプレイリストを適当に流したり、最近聴いた曲をまた中毒のように聴いたりする。

最近は、Enjoy Music Clubの「東京で考え中」をよく聴いている。

あとは、曽我部恵一の「文学」やSTUTS, PUNPEEの「夜を使いはたして feat. PUNPEE」とか。

あまり元気な曲は疲れてしまうので、そういう文化系のヒップホップとかを聴いている。

 

最近は、あまりアニメが見れない。

『賢者の孫』についての記事を書いておいてなんだが、本当に見れないのだ。 

例えば下に貼り付ける記事で取り上げている『賢者の孫』についても、投稿時点で6話まで放送されているのに、「4話時点」までの話しかしていないように。

 

日々の暮らしが忙しいわけではない。

たしかに仕事は「繁忙期」ということになっている。

私のところにも仕事は振られるのだが、すぐに「あ、あれやっぱりやらなくてよくなった」と言われ、しかし別の仕事が来るわけでもない。

だから最近は、実は暇で暇で仕方がない。

しかし、私のところには仕事が沢山振ってきていることになっているらしく、私もそれに甘んじているので、社内ニートの日々だ。これはこれで逆につらい。

まあ、兎角、多忙なわけではないのだ。

 

だから、アニメも見れていいはずなのに、どうにも食指が動かない。

この傾向は、楽しみにしている作品ほど顕著になる。

 怖いのだ。その作品を楽しめなかったときのことが。

それを楽しめない精神状態であることを突きつけられるような気がして。

あるいは、それが予想より面白くなかったら、明日から生きていけないような気がして。

文豪ストレイドッグス』も『さらざんまい』も、録っているのに観れていない。ただHDDの肥やしとなるばかりである。

 

本は、Kindleで買う漫画も含めるならば、以前とあまり変わらないペースで読めている。

子供はわかってあげない』の作者である田島列島の新作『水は海に向かって流れる』は良かった。

なんだか少し、長嶋有の小説を思い出した。

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

水は海に向かって流れる(1) (KCデラックス)

 

 

あとは、吉本ばなな『白河夜船』とか、川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』とかを読んだ。

それに、穂村弘のエッセイは相変わらず面白かった。

白河夜船 (新潮文庫)

白河夜船 (新潮文庫)

 
ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

ニシノユキヒコの恋と冒険 (新潮文庫)

 
君がいない夜のごはん (文春文庫)

君がいない夜のごはん (文春文庫)

 

 

聴き慣れた音楽を、どこかへの移動で耳が寂しくならないように、そして何かから耳をふさいでしまうように聴く。

じゃないと、なんだか逃げ帰りたくなる。

アニメは、ネタバレを知っているものだけを、安定剤みたいに観る。期待値を正しく設定できるような気がするからだ。

ジョジョの奇妙な冒険』は、元ネタとして有名すぎてオチも知っているため、安心して観られる。

何かをする気力も弱まってしまっていて、夜はSNSを眺め続けてしまう。

寝ると明日が来るから、と嘯いて、なんだか夜更かしをしてしまう。

布団に入ってからは本を読む。疲れたら寝る。あまり眠気は来ない。

映画館に行く回数が減った。土日はいつの間にか終わる。

観たい作品も、いつの間にか上映期間が終わっている。

じゃあ土日は何をしているかと言うと、行くあてはないけど家にはいたくなくて、フラフラしている。なんとなく、いつもフラフラしている。そして時間がアイスクリームみたいに溶けていく。

ひきこもらない

ひきこもらない

 

 

まっとうに考えれば、まあ「疲れている」んだろう。

先月、長く体調を崩したことも関係していそうだが、上記の症状は今年に入ってからずっとのような気もするので、きっと体力の話だけじゃない。

最近は、まあ、そんな感じだ。

 

困ってしまう。

 

20代会社員男性、賢者の孫にハマる

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ここ最近の私ときたら、『賢者の孫』を見て爆笑している。

これがもう本当に面白くて仕方がない。

 

『賢者の孫』は、小説投稿サイト「小説家になろう」に掲載され、現在はファミ通文庫から書籍版が刊行されている同名小説を原作としたTVアニメだ。

Wikipediaからで恐縮だが、あらすじを引用しよう。

この世界で名を知らぬ者はいない偉大な賢者マーリンに拾われたシン=ウォルフォードは、前世の記憶を持つ異世界転生者であった。

しかし、人里から離れた地にてマーリンに育てられた結果、シンは規格外の魔法使いにして一般常識と無縁な世間知らずになってしまう。家によく訪れるディスおじさんの勧めもあり、シンは王国アールスハイド高等魔法学院へ通うことになるが、型破りな彼はさまざまな事件に巻き込まれる。

賢者の孫 - Wikipedia より)

 

上記の紹介とあらすじから推測できるように、『賢者の孫』はいわゆる「なろう系」のお約束が詰められたような作品である。何ならば、ちょっと嗤われるぐらいの。

私も、最初は正直あまり期待していなかった。

「よく聞くタイトルだし、話題になるぐらいなのだからどういうものなのか全く知らないわけにもいくまい」ぐらいの気持ちだった。

しかし、これがなかなかどうして面白いのである。

 

「なろう系」といえば、前クールまでやっていた『転生したらスライムだった件』も面白かった。あれには、IQ60的な面白さがあった。

平凡なことを言っているのに「さすがはリムル様!」の大合唱が始まることと言い、元37歳ゼネコン勤務とは思えないほどの交渉術と言い、なかなか楽しませてもらった。

それと比して言うならば、『賢者の孫』にはIQ20的な面白さがある。

今回は、そんな『賢者の孫』の面白さをご紹介したい。

 

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まず第1話アバン。異世界転生のお約束として、主人公は死ぬわけだが、あまりにも流れ作業で死ぬ。

「疲れたなあ……」とかもなく、あっさりと信号無視で横断歩道を渡ろうとして、死ぬ。

ほぼ異世界転生RTA。もはや直前の、車が車線変更するシーンですら面白い。

 

ちなみに、このアバンつまり希少なサラリーマン時代に、こんなカットがある。

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段ボール詰めの本。子供向けの科学の本に関連した会社のようだ。

仕事の多さなら、書類の山を見せればいいだけなのに――なんだか意味深なカットだ。

ここから、主人公が生前は理科好きで、その知識は転生後も継承されて、なんて展開を期待させるが、残念ながら4話時点ではほとんどそんなシーンはない。

 

さて、かくして主人公は異世界転生する。転移した赤ん坊は、賢者マーリンに拾われ、彼はシン=ウォルフォードとして生きていくことになる。

そんなシンはAパート開始直後、ニワトリとイノシシを魔法でぶっ殺す。

生物に容赦がないので、『賢者の孫』は実質ジョジョ

「ぶッ殺す」って心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!

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この直後、シンのモノローグで、幼少期から彼が前世の記憶を持っていることが明かされる。

しかしその記憶が物語に関わることは、前述のとおり、ほとんどない。

マジでファンタジーの影響で呪文の詠唱を恥じらうところぐらい。なんのための前世だよ。

 

ちなみに、シンくんのチートっぷりはこの1話Aパート時点から絶好調だ。

さすがシン! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ そこに――いや、やめておこうか、これは。

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そんなシンにも「ツッコミポイント」がある。

『転スラ』で、転生したらなんと雑魚モンスタのスライムで、なのに何故かチート級、というメタ的笑いがあったように。

『賢者の孫』でそれにあたるのは、マーリンが魔法を教え、偶然にも*1シンの素養が素晴らしかったことも相まって、シンは超絶スーパーめちゃつよ魔法使いになるのだが、マーリンはシンに常識を教えるのを忘れていた、ということだ。

 

この非常識さが、あの有名な「またオレなにかやっちゃいました?」につながる。

つまり自身の実力を、物差しのなさ故に過小評価して「やりすぎ」てしまい、周囲から賞賛を集めてしまうという構造が「非常識さ」に支えられているのだ。

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しかし何よりも注目したいのは、マーリンが「常識教えるの忘れとった」と言った際のその場にいた人たちの反応である。

この「うっかり発言」を受け、その場にいた数名は「はぁぁああああ!?」と声を上げるのだが、その声の大きさと衝撃の度合いがが、家から出る集中線で表現される。

今日び、こんな演出見かけない。

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このアニメの特徴に、上記のやたら古典的なシーンなど、ところどころに挟まれるおかしな演出やセリフが挙げられる*2

たとえばOPで毎度流れる、奥手なヒロインが主人公を前にドギマギする様子を木陰から見ていた親友キャラが、「やれやれ」と両手を広げて顔芸をするシーンも今日び見ない。

もはや懐かしさすら憶えない。ほとんどドリフ。歴史*3

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そんな演出的なおかしみは、1話にて、魔法学校入学に向けシンらが王都に向かうシーンでもいかんなく発揮される。

王都の入り口で、身分書を確認した憲兵は、「け、賢者マーリン殿と、導師メリダ殿でありますか!?」と叫ぶ。

そして、この有名人を一目見ようと王都中から人が駆けてくる。

その様子がこちらなのだが、いや遠くからやってきすぎだろ、地獄耳かよお前ら。

そして集団の描き方は極めて雑。OK SILVER LINK!それでいい!その描き方がいい!

てか、それだけ有名人で王国の英雄なら身分証見せるまでもなく顔パスであれよ

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ちなみに1話はこの後、街に出たシンがモブの暴漢に絡まれているヒロインを助けるお約束の展開が待ち受けている。

テンプレなモブは非常に元気があってよろしい。モブはこうでなければ。

そしてヒロインはおっぱいが超デカい。これが「いい」んじゃあないか!

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そして最後にオープニングが流れる。

長い長い20分だった。ウォーミングアップも完了し、温まった私たち視聴者はなにを見ても面白く感じる。

もうこのサビが元気すぎるi☆Risの曲すら面白く感じられるし、歌詞のテロップが表示されているだけで腹を抱えて笑える。ありがとう、avex

そして、私たちは、『賢者の孫』の虜になっている。

わかったよ『賢者の孫』!!『賢者の孫』のミリキが!「言葉」ではなく「心」で理解できた!

そういうわけだ。

 

この作品のタイトルは『賢者の孫』は、すなわちシン=ウォルフォードその人を指している。

しかし、シンはマーリンに拾われた身であり血縁関係はない。養子という言葉はあれど、養孫という言葉はない。つまりシンはそもそも孫じゃない。よしんば実はシンの父親がマーリンの息子であったとしても、たぶんアニメはそこまで行かない。

そして、何よりこのマーリン、今のところまったく賢者じゃない

賢者も孫もいないのに、『賢者の孫』とはこれ如何に……。まあ『ジョジョ』もだんだん主人公が「ジョジョ」って呼ばれなくなっているし、似たようなものか……?

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「賢者の孫」ことシン=ウォルフォードくんは、その力ゆえにまっとうに生きられるわけがなく、アニメでもさっそく様々なトラブルに巻き込まれつつ頑張っている。

3話では同級生のカートが魔人化したので、首を落としてぶっ殺している。

「こうするしかなかったのかな……」と無力感を噛みしめるセリフはあれど、直後、王都の兵士たちは「新しい英雄!」と騒ぎ立てる。

これが本人と周囲の温度差の演出につながればいいが、シンもずっこけてるし、4話アバンでは、極めて冷静に当時のことを振り返っている。わりとサイコ

そして、3話では、カート殺害直後、「初めて人を……」と、少々驚き、かつ怯えているようなシーンがあったのに、4話終盤では人をソーラービームで焼き殺そうとしている。わりとサイコ。

ちなみにソーラービームを撃ったあとで、「太陽の光は」云々と一瞬言っているが、もう児童向け科学本のくだりとかたぶん誰も憶えていない。

 

規格外の強さを持ち、加減を知らず、時にサイコなシン=ウォルフォード。

しかし、よくよく考えれば、非常識というイノセンスを持つ彼は、常識という偏見の総体*4から自由な「天使」 なのかもしれない。

そして彼は、我々に、呪文の詠唱=言葉よりもイメージを大事にし、自由に振る舞うことが大事であると教えてくださっているのだ。

天使であるとすれば、時にソーラービームを撃っても何ら不思議じゃない。

知らんけど。

 

というわけで、今回はここまで『賢者の孫』の魅力を紹介してきた。

「褒めそやす」「小馬鹿にもする」――「両方」やらなくっちゃあいけないってのが「こういう記事」のつらいところだ。

いかがだっただろうか。

この記事を通じて私がつまるところ何を言いたかったのかというと、ジョジョの奇妙な冒険』は最高ってことです。

チョコラータ&セッコ戦を見ましょう。

それでは、今日はこのあたりで。アリーヴェデルチ

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*1:実際にはまったくの偶然ではなく、異世界転生者ならではの理由がある必然なのだろうが、アニメでは4話時点で何も説明されていない。

*2:記事中に挟む余裕が無いため脚注で触れるが、例えば国王は王太子だった学生時代に、国が決めた学徒動員に志願し魔人討伐隊に加わったらしいのだが、この世界観で「学徒動員」と言われると思わず笑ってしまう。

*3:その意味では、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』も面白い。今日び「おやびん」なんてセリフ、あのアニメでしか聞くことが出来ない。

*4:「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」アルベルト・アインシュタイン