2019年の5冊
年の瀬である。年の瀬になってしまった。
なんだか一瞬だった気がするけれど、振り返れば、まあいろいろあるんだろう。
だが、あまり楽しくないことも多かったので、それをあえて振り返ろうとは思わない。
代わりに今回は、今年読んだ本を何冊かピックアップして振り返ってみたい。
今年刊行されたんじゃなくて、自分が今年読んだ本を。
ちょうど12月28日の土曜日から年末年始の休暇である人もいることだろう。
その間にの暇つぶしになれば幸いであると思いながら、書いていこう。
読書するよりNetflixで『全裸監督』観るだろ、とか言われそうだなとか思いながら、書いていこう。
ちなみに 以前の記事だと、指向性はこれとおおよそ近い。
ご参考までに。FYIってやつだ。なんだよ、FYIって。ふざけてんのか。
川上未映子『あこがれ』新潮社、2019年
小学生の麦彦とヘガティーがメインの登場人物となる短編小説が2本収められている。
これらの物語は、誰かに「会う」物語だ。
「誰かにあしたまた会えるのは、会いつづけてるからに決まってるじゃん。……人って、いつぽっかりいなくなっちゃうか、わからないんだからね」
このバディの関係性か、小説のテーマか、あるいは言葉か。
うまく説明できないけれど、なんだか雰囲気が良くて、印象に残っている。
2人で映画を見たあとにする「挨拶」がとても好きだ。
(川上未映子なのに今年刊行の大作『夏物語』でないのは、まだ読めていないから)
「人見知り」芸人として売れ、しかしそうも言っていられなってきた、40歳手前(当時)の芸人オードリー・若林のエッセイだ。
この「そうも言っていられない」ことや、昔は噛みつきたかったことも今は分かる、みたいなことを若林はたびたび言葉にしている。天気の話はとりあえず間が持つとか(Instagram)、飲み会が嫌とか言いつつMCだと行かないといけないし挨拶もしないといけなくなる(ライブ「さよならたりないふたり」)とか。
本書には、そういうことを口にするようになるまでの過程がある。
ゴルフにハマったり、車で湘南まで飛ばして花火をしたり、アイスランドに行ったり。
「社会人大学」に比べると、その筆致に、どこか落ち着いた目線が増えたように感じるが、それがなんだか良かった。
町屋良平『しき』河出書房新社、2018年
ちゃんと芥川賞というメジャーな賞をとったあとでわざわざ言うのもダサいかもしれないけれど、今年すごくいいなあ、と思ったのは町屋良平だった。
いくつも素晴らしいセンテンスがあった。
自分の考えとか動きとか、それを描写することは自意識的なのだけれども、それが、イメージどおりに動かせないという身体や運動にまつわる描写であることから、自意識的すぎる域にまで行かないのが良いな、と思った。
それ故に、この作品の文体は、少しだけ舞城的だけれども舞城的な「万能さ」とは異なる色になっている。
また、「踊り手」として踊る人や男子だけの視点でなく女子の視点も交え、多視点的に描かれるのも、どこか客観的で、バランスがとれて良いなと思った。
西口想『なぜオフィスでラブなのか』堀之内出版、2019年
オフィスラブを扱った作品に関する短い批評がいくつか並ぶという構成を取る本だ。
しかし主眼は、作品の読解にあるのではない。
著者が興味を持っていると語るのは、オフィスという公的な空間なのに、そこにラブという私的関係の契機がいつも孕まれているということそれ自体である。
社会の変化や、会社が日本社会において持つ存在感の大きさを、オフィスラブからは推測できる。
「働き方改革」が叫ばれる昨今だが、まず社会がどう変化してきたのか、あるいは会社というものは私たちにとってどのような存在であったのか。
そういったことを考える契機になりうると思った。
『子供はわかってあげない』の田島列島による最新作だ。
高校進学を機におじさんの家に居候することになった直達。
駅に迎えにきてくれたのは26歳OLの榊さんだったが、直達と彼女の間には思わぬ因縁があった……というのが、おおよそのストーリーだ。
しかし、物語自体は、大味では進まない。
おじさんの家に住む5人の男女の会話を積み重ねることで、誰が何を知っていて――という役割を丁寧に作り出していく。
なんだか最近、そういう、複数人が関係する「場」において、ゆるく(言い争わないだけで、バチバチだったりするのだが)行われる会話によって物語が展開されていく作品が、どうにも好きになってきた。
まあ、上記の私の好みの変化を抜きにしても、とても面白い漫画だ。
さて、今回紹介するのは以上だ。
本ならばもっと読んだ気がするのだが、ここで紹介するとなると、なんだか少なめになってしまった。
最後に、これらの本の関連本も少しリストアップして終わりたいと思う*1。
今年もありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
(もしかしたら、まだ今年中に更新するかもしれないけど)
青野慶久『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』PHP研究所、2018年
読んだことはないけれど、上記『なぜオフィスで~』の関連本として、「会社」という存在の持つ魔力みたいなものを考えるのに有用なのではないかと思い、挙げた。ちなみに著者の青野氏は、Garoonやkintoneなどのグループウェアを開発・販売し最近は電車内で広告を見ることも増えてきたサイボウズ株式会社の社長でもある。
岩井勇気『僕の人生には事件が起きない』新潮社、2019年
芸人のエッセイということで、ハライチ岩井勇気のこの本を挙げたい。
いきなり「ネタを書いているから頼んだんだろ」みたいな言い方をするあたりがとてもよい。
今年角川文庫から刊行された「涼宮ハルヒ」シリーズのどれかの刊に彼が寄せていたあとがきも良かった。併せて読むと、もっと良いと思う。
保坂和志『カンバセイション・ピース』河出書房新社、2015年
「場」と会話で成り立っていて、好きだなあ、と思う小説としてはこれらがある。
長嶋有は『問いのない答え』も素晴らしかった。
小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』講談社、2019年
上記の『会社というモンスター~』は、社長が書くのだからおそらくビジネス的視点から「会社」について触れられているのだろう*2。
つまり、「慣習(儀式)の束」としての会社が、私たちのビジネスをむしろ邪魔する場面ってない? みたいな視点から「会社」を読み解くのだと思う*3。
『日本社会の~』は、雇用や、そこにつながる教育の現在について、歴史的経緯を以て説明しようとする。「会社はなぜこうなのか」「どう変えられるのか」という視点よりも、「なぜ日本の私たちの住む社会はこのようなのか」という視点で多くのものが語られる。そこには当然、会社のことも入ってくる。
テーマによって優劣があるわけではないが、並べてみると、面白い気付きがあるかもしれない。片方しか読んでことがないから、憶測でしか言えないが。
説明不要。面白い。