社畜クズ野郎は積読消化の夢を見ない
『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を第一作とする「青春ブタ野郎」シリーズのアニメが放送中だが、これがなかなかに面白い。
この作品について、いろいろと「よくできている」ポイントを列挙するのは簡単なのだが、個人的にとても気になるのは、作品の舞台が藤沢近辺であることだ。
私は昔、あの近辺に住んでいたことがある。
正直、観光地化した都市である秋葉原がいくらアニメに映ろうと特に何とも思わないのだが、藤沢では少し驚いてしまう。
「青春ブタ野郎」シリーズの著者である鴨志田一が脚本を担当したアニメ『Just Because!』でも舞台は藤沢~大船といった湘南地方が使われていた。
これで驚かされるのが、あくまで彼らの生活の場として描かれる以上、湘南といっても江ノ島とかではなく普通に市街地や藤沢駅なのである。つまり先述の秋葉原とはわけが違う。
地方出身の私は、馴染みのある場所が映るたびに、ソワソワする。
藤沢駅前OPAのTULLY'S COFFEEや駅前のVELOCE等。
いろいろと「懐かしいなあ」などと感じてしまう場所は多いのだが、もっともソワソワするのは藤沢駅北口ビックカメラの7,8階に入っているジュンク堂藤沢店である。
読書は私の数少ない趣味の一つだ。
だから、ジュンク堂には電車に乗って足繁く通った。あの店のことはよく憶えている。
赤本コーナーの近くには漫画の棚が数列並び、ラノベ棚もあることとか、その反対側に文芸書や文庫本コーナーがあることとか、そういうことを今でも思い出し、諳んじることができる。我ながらキモい。
当時から、本を読むペースに対して買うペースが勝りがちな悪癖はあった。
1冊読み終えて2冊買う、みたいな。我ながら阿呆なことをしているなあ、とか思っていた。
それから数年経った今の私の悪癖は、当時よりずっと進行している。
いや、おそらく10月、11月と仕事が忙しかったのが悪い。
ならばこそ、こんなエントリーを書くことになったのだし。まあ、反省なんざこれっぽちもしていないが。
「退職エントリーを書きたい日記」の「その2」の投稿はもう少し先になりそうだが、まあそれは主眼でないのでどうでもいい。
問題は、私にはどうも、忙しくなると浪費が増える傾向があるらしい、ということだ。
仕事が忙しいと残業が増える。そうでなくとも忙しい、または忙しい気分だと、なんだか人と会ったりとかそういうことが後回しになってしまう。
すると、忙しい原因となっている出来事で人と会っているのに、なんか誰とも会っていなくて社会から疎外されているような気分がしてきてしまう。
そして、浪費をする=金銭を払う=市場に接することで「社会とつながっている」感じをインスタントに得ようとしてしまう――と、まあ、多分こんなセオリーだと思われる。
とは言い条、先述の通り、私の趣味は多くなく、よって浪費の対象も絞られる。
服も買わない――実際には買わないといけないのだが、まあそれは別の機会で追々書こう――し、酒も飲まない、タバコも吸わない。「ないない」尽くしのゆとり世代の文化系クソオタクは、けっきょく書籍に行き着いてしまった*1。
そして買っても読む余裕がないから、ずっと積読ばかりが溜まっていく。どうせなら金が貯まればいいのに*2。
散々、忙しいと書いてきたが、最近はむしろ仕事がなくて困っている。
それでも閑散期なわけではなく、仕事はあるはずなのに手を出せるものがないので、心ばかりが忙しくてたまらない。
まあ、それでも、時間的には余裕が少しだけ出てきた。
昨日は津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(新潮文庫)を読み終えた。面白かった。
だから今日は3冊新しい本を買った。いや、おかしいだろ。馬鹿かよ。
これでは、転職に向けてスキルを培うぜ! なんてのも夢のまた夢である。
いっそ昔みたいに、藤沢近辺まで出かけてみるのはどうだろうか。
可も不可もないインドカレー屋で尋常でない量のナンを「おかわり」として問答無用で追加される、または家系ラーメンの店でまぜそばと炙りチャーシュー丼で腹を満たし、腹ごなしにコーヒーを飲みながら本を読むのだ。
しかし、それをするにもちょっと距離がありすぎる。
上述のOPA2階のTULLY'S COFFEEで内定辞退の書面を書いたのも、「青春ブタ野郎」シリーズの登場人物みたいに自分が高校生だったのも、それぞれずいぶん過去のように思える。
だのに、同じことを繰り返すどころか悪化させていて、なんなんだろう、と思う。
ブタ野郎だね! なんて声も、テレビの画面からしか聞こえない。
どうしたもんかねえ、と独り言ちたくなるけれど、
寝る前、布団に潜ってからの読書は存外に捗って、それはそれで困る。
アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』の冒頭に引かれた、モリス・ブランショの言葉を思い出す。
夜、熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。
彼の言葉の主意には反するかもしれないが、私はきっと夜を現存させていれば、明日の朝が来ることを遅延させられると、どこかで願っているのだ。
この年齢の人間が持つにはあまりにもロマンチシズムがすぎる夢想である。
- 作者: アントニオタブッキ,Antonio Tabucchi,須賀敦子
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遠い過去や遠い国。
そんなものに思いを馳せながら、今日もまた布団に潜ってちょっとだけ本を読むのだろう。
今日は何を読もうか。考えているときが一番楽しい。
兎角、そんなわけで、積読が溜まる一方だ、というだけの、実にくだらないお話。
このペースでは、一向に、終わらない。