20代会社員男性、賢者の孫にハマる
ここ最近の私ときたら、『賢者の孫』を見て爆笑している。
これがもう本当に面白くて仕方がない。
『賢者の孫』は、小説投稿サイト「小説家になろう」に掲載され、現在はファミ通文庫から書籍版が刊行されている同名小説を原作としたTVアニメだ。
Wikipediaからで恐縮だが、あらすじを引用しよう。
この世界で名を知らぬ者はいない偉大な賢者マーリンに拾われたシン=ウォルフォードは、前世の記憶を持つ異世界転生者であった。
しかし、人里から離れた地にてマーリンに育てられた結果、シンは規格外の魔法使いにして一般常識と無縁な世間知らずになってしまう。家によく訪れるディスおじさんの勧めもあり、シンは王国アールスハイド高等魔法学院へ通うことになるが、型破りな彼はさまざまな事件に巻き込まれる。
(賢者の孫 - Wikipedia より)
上記の紹介とあらすじから推測できるように、『賢者の孫』はいわゆる「なろう系」のお約束が詰められたような作品である。何ならば、ちょっと嗤われるぐらいの。
私も、最初は正直あまり期待していなかった。
「よく聞くタイトルだし、話題になるぐらいなのだからどういうものなのか全く知らないわけにもいくまい」ぐらいの気持ちだった。
しかし、これがなかなかどうして面白いのである。
「なろう系」といえば、前クールまでやっていた『転生したらスライムだった件』も面白かった。あれには、IQ60的な面白さがあった。
平凡なことを言っているのに「さすがはリムル様!」の大合唱が始まることと言い、元37歳ゼネコン勤務とは思えないほどの交渉術と言い、なかなか楽しませてもらった。
それと比して言うならば、『賢者の孫』にはIQ20的な面白さがある。
今回は、そんな『賢者の孫』の面白さをご紹介したい。
まず第1話アバン。異世界転生のお約束として、主人公は死ぬわけだが、あまりにも流れ作業で死ぬ。
「疲れたなあ……」とかもなく、あっさりと信号無視で横断歩道を渡ろうとして、死ぬ。
ほぼ異世界転生RTA。もはや直前の、車が車線変更するシーンですら面白い。
ちなみに、このアバンつまり希少なサラリーマン時代に、こんなカットがある。
段ボール詰めの本。子供向けの科学の本に関連した会社のようだ。
仕事の多さなら、書類の山を見せればいいだけなのに――なんだか意味深なカットだ。
ここから、主人公が生前は理科好きで、その知識は転生後も継承されて、なんて展開を期待させるが、残念ながら4話時点ではほとんどそんなシーンはない。
さて、かくして主人公は異世界転生する。転移した赤ん坊は、賢者マーリンに拾われ、彼はシン=ウォルフォードとして生きていくことになる。
そんなシンはAパート開始直後、ニワトリとイノシシを魔法でぶっ殺す。
生物に容赦がないので、『賢者の孫』は実質ジョジョ。
「ぶッ殺す」って心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!
この直後、シンのモノローグで、幼少期から彼が前世の記憶を持っていることが明かされる。
しかしその記憶が物語に関わることは、前述のとおり、ほとんどない。
マジでファンタジーの影響で呪文の詠唱を恥じらうところぐらい。なんのための前世だよ。
ちなみに、シンくんのチートっぷりはこの1話Aパート時点から絶好調だ。
さすがシン! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ そこに――いや、やめておこうか、これは。
そんなシンにも「ツッコミポイント」がある。
『転スラ』で、転生したらなんと雑魚モンスタのスライムで、なのに何故かチート級、というメタ的笑いがあったように。
『賢者の孫』でそれにあたるのは、マーリンが魔法を教え、偶然にも*1シンの素養が素晴らしかったことも相まって、シンは超絶スーパーめちゃつよ魔法使いになるのだが、マーリンはシンに常識を教えるのを忘れていた、ということだ。
この非常識さが、あの有名な「またオレなにかやっちゃいました?」につながる。
つまり自身の実力を、物差しのなさ故に過小評価して「やりすぎ」てしまい、周囲から賞賛を集めてしまうという構造が「非常識さ」に支えられているのだ。
しかし何よりも注目したいのは、マーリンが「常識教えるの忘れとった」と言った際のその場にいた人たちの反応である。
この「うっかり発言」を受け、その場にいた数名は「はぁぁああああ!?」と声を上げるのだが、その声の大きさと衝撃の度合いがが、家から出る集中線で表現される。
今日び、こんな演出見かけない。
このアニメの特徴に、上記のやたら古典的なシーンなど、ところどころに挟まれるおかしな演出やセリフが挙げられる*2。
たとえばOPで毎度流れる、奥手なヒロインが主人公を前にドギマギする様子を木陰から見ていた親友キャラが、「やれやれ」と両手を広げて顔芸をするシーンも今日び見ない。
もはや懐かしさすら憶えない。ほとんどドリフ。歴史*3。
そんな演出的なおかしみは、1話にて、魔法学校入学に向けシンらが王都に向かうシーンでもいかんなく発揮される。
王都の入り口で、身分書を確認した憲兵は、「け、賢者マーリン殿と、導師メリダ殿でありますか!?」と叫ぶ。
そして、この有名人を一目見ようと王都中から人が駆けてくる。
その様子がこちらなのだが、いや遠くからやってきすぎだろ、地獄耳かよお前ら。
そして集団の描き方は極めて雑。OK SILVER LINK!それでいい!その描き方がいい!
てか、それだけ有名人で王国の英雄なら身分証見せるまでもなく顔パスであれよ。
ちなみに1話はこの後、街に出たシンがモブの暴漢に絡まれているヒロインを助けるお約束の展開が待ち受けている。
テンプレなモブは非常に元気があってよろしい。モブはこうでなければ。
そしてヒロインはおっぱいが超デカい。これが「いい」んじゃあないか!
そして最後にオープニングが流れる。
長い長い20分だった。ウォーミングアップも完了し、温まった私たち視聴者はなにを見ても面白く感じる。
もうこのサビが元気すぎるi☆Risの曲すら面白く感じられるし、歌詞のテロップが表示されているだけで腹を抱えて笑える。ありがとう、avex!
そして、私たちは、『賢者の孫』の虜になっている。
わかったよ『賢者の孫』!!『賢者の孫』のミリキが!「言葉」ではなく「心」で理解できた!
そういうわけだ。
この作品のタイトルは『賢者の孫』は、すなわちシン=ウォルフォードその人を指している。
しかし、シンはマーリンに拾われた身であり血縁関係はない。養子という言葉はあれど、養孫という言葉はない。つまりシンはそもそも孫じゃない。よしんば実はシンの父親がマーリンの息子であったとしても、たぶんアニメはそこまで行かない。
そして、何よりこのマーリン、今のところまったく賢者じゃない。
賢者も孫もいないのに、『賢者の孫』とはこれ如何に……。まあ『ジョジョ』もだんだん主人公が「ジョジョ」って呼ばれなくなっているし、似たようなものか……?
「賢者の孫」ことシン=ウォルフォードくんは、その力ゆえにまっとうに生きられるわけがなく、アニメでもさっそく様々なトラブルに巻き込まれつつ頑張っている。
3話では同級生のカートが魔人化したので、首を落としてぶっ殺している。
「こうするしかなかったのかな……」と無力感を噛みしめるセリフはあれど、直後、王都の兵士たちは「新しい英雄!」と騒ぎ立てる。
これが本人と周囲の温度差の演出につながればいいが、シンもずっこけてるし、4話アバンでは、極めて冷静に当時のことを振り返っている。わりとサイコ。
そして、3話では、カート殺害直後、「初めて人を……」と、少々驚き、かつ怯えているようなシーンがあったのに、4話終盤では人をソーラービームで焼き殺そうとしている。わりとサイコ。
ちなみにソーラービームを撃ったあとで、「太陽の光は」云々と一瞬言っているが、もう児童向け科学本のくだりとかたぶん誰も憶えていない。
規格外の強さを持ち、加減を知らず、時にサイコなシン=ウォルフォード。
しかし、よくよく考えれば、非常識というイノセンスを持つ彼は、常識という偏見の総体*4から自由な「天使」 なのかもしれない。
そして彼は、我々に、呪文の詠唱=言葉よりもイメージを大事にし、自由に振る舞うことが大事であると教えてくださっているのだ。
天使であるとすれば、時にソーラービームを撃っても何ら不思議じゃない。
知らんけど。
というわけで、今回はここまで『賢者の孫』の魅力を紹介してきた。
「褒めそやす」「小馬鹿にもする」――「両方」やらなくっちゃあいけないってのが「こういう記事」のつらいところだ。
いかがだっただろうか。
この記事を通じて私がつまるところ何を言いたかったのかというと、『ジョジョの奇妙な冒険』は最高ってことです。
チョコラータ&セッコ戦を見ましょう。
それでは、今日はこのあたりで。アリーヴェデルチ!
*1:実際にはまったくの偶然ではなく、異世界転生者ならではの理由がある必然なのだろうが、アニメでは4話時点で何も説明されていない。
*2:記事中に挟む余裕が無いため脚注で触れるが、例えば国王は王太子だった学生時代に、国が決めた学徒動員に志願し魔人討伐隊に加わったらしいのだが、この世界観で「学徒動員」と言われると思わず笑ってしまう。
*3:その意味では、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』も面白い。今日び「おやびん」なんてセリフ、あのアニメでしか聞くことが出来ない。
*4:「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」アルベルト・アインシュタイン)