ヤンキーになりたかった

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平成に大衆化された空耳について

平成の最後に、それらしい記事を書くのは何となく嫌だった。

平成はこんな時代だったなんて、総括してみせる月並な記事を書くのは。

だから、努めてくだらない記事を書いてやろうと思った。

 

以前、いくつか紹介したきり記事にしなくなっていたが、1ヶ月に1つのペースでSpotify上にプレイリストを作るのを、私はまだ続けている。

今年の3月のプレイリストのテーマは、アニメソング特にキャラソンだった。

そのリストを作る際に、TVアニメ『ご注文はうさぎですか?』1期のOP主題歌である「Daydream café」をこれまでにないほどリピートした。

 そしてその中で思ったのだ。

2番Aメロの「さすがにウサギ呼んじゃったよ」という歌詞は何を意味するのだろう?

なにがどうなれば、「ウサギ」を「さすがに」「呼んじゃ」うのだろう?

しかし、アニソンに明るい方または「ごちうさ」ファンの方はもうお気づきであろう。

そもそもその歌詞は「さすらいウサギ呼んじゃったよ」であった。

前提が崩れたので、もうこれは話のネタにできない――いきなり出鼻をくじかれてしまったというわけだ。

 

私の「聞きまちがい」は、いわゆる「空耳」の類だろう。

「空耳」の語義は、デジタル大辞林によると以下のとおりである。

1. 実際にはない音や声が聞こえたように思うこと。「母の声がしたと思ったが、空耳だった」

2. 聞いているのに聞こえないふりをすること。「空耳を走らす」「空耳を使う」

そして、私たちが「空耳」と聞きイメージする「外国語の歌詞などを日本語に聞きなすこと」は、1の意味から発展した解釈として補足的に触れられている。

 

「空耳」のこの意味は、テレビ朝日系列の深夜バラエティ『タモリ倶楽部』のコーナー「空耳アワー」が起源である。

たしかに、それ以前にも類似の企画が存在していたという歴史的事実はある*1

しかし、それに「空耳」という名を与え膾炙させたのは「空耳アワー」で間違いないだろう。

空耳アワー」のコーナーの元々は、1992年4月3日から放送された「あなたにも音楽を」であった。

それが、本来の趣旨から外れてきたということで、同年7月3日放送より「空耳アワー」と改称され、現在に至る。

ここから言えるのは「空耳」が、平成に起こった文化である、ということだ。

 

思えば平成のアニソンは、「空耳」や「電波」を多分に含んできた。

あるいは、PCとインターネットの普及が、それらを求め、加速させた。

そういった要素を含む曲は、まずPCゲームの主題歌として発展し、アニメソングに取り込まれていった。

そして、アニソンのOPに合わせ「空耳」を皆で打ち込む文化は、ニコニコ動画というアーキテクチャを経て大衆化された。これは「ごちうさ」も例に漏れない。

仮に平成をインターネットの時代と総括するならば、「空耳」もまた何らかの形で平成史の中に含まれなければならないだろう。

テレビが産んだ「空耳」が、インターネットで敷居が更に下がり、より膾炙した、とかそんなふうに。


 

くだらない記事を書こうとして、結果的に、書きたくなかったはずの、平成を振り返る内容に少々寄ってしまった。

みなさんは、平成の世に、どのような「空耳」を他にしてきただろうか。

 

さて、上記の問いに対して私の実例を他に挙げてみようと思ったが、残念ながらパッと思い浮かばなかった。

「空耳」したままであれば気づかないし、いざそれが「空耳」と分かれば、あとは正しく聞き取れてしまい、記憶から薄れていく。

まあ、そういうことなのだろう。

幽霊の正体見たり枯れ尾花。

「空耳」とは「幽霊」である。

元号単位で語られる時代精神Zeitgeistなるものが、後世から如何様にも規定できる幽霊的なものであるように。

 ――なんてまとめ方ははあまりにも性急にも思えるが、今日はこの辺で。

それではみなさま、よい令和を。

 


恋のマイアヒ【のまねこ】フルバージョン

 


童貞ちゃうわ!

*1:アメリカンTop 40』内のコーナー「坂井隆夫のJoke Box」や『笑福亭鶴光オールナイトニッポン』のワンコーナー。