ダリフラ、もうこれRADWIMPSの歌詞だろ
自分でいきなりこういうことを言い出すのもなんだが、私は陰キャ側の人間であり、体育会系か文化系かを問われれば間違いなく後者である。そうすると必然、周りにも文化系の人間が多くなり、時に観ているアニメの話になることもある。そこではさまざまなアニメの名が出る。
しかし、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』(以下、「ダリフラ」と呼称)の名を聞くことはほとんどない。
「ダリフラ」は、TRIGGER・A-1 Pictures*1共同制作のオリジナルロボットアニメーションである。
高エネルギー効率を持つ「マグマ燃料」の採掘により、地殻変動や環境破壊が進み、また地底から現れる謎の巨大生物叫竜により生活を脅かされた人類は、巨大要塞都市を建設しその中で暮らしている――物語は、そんな世界を舞台としている。
上述した内容と被る部分もあるが、公式サイトのイントロダクションを引こう。
遠い未来。人類は荒廃した大地に、移動要塞都市"プランテーション"を建設し文明を謳歌していた。
その中に作られたパイロット居住施設"ミストルティン"、通称"トリカゴ"。コドモたちは、そこで暮らしている。外の世界を知らず、自由な空を知らず。教えられた使命は、ただ、戦うことだけだった。
フックは大きかった。TRIGGERが満を持して送り出すロボットアニメ、匂わせがすぎる意味深な設定の数々エトセトラ。
実際、最序盤はツイッターやまとめサイトでも感想を見かけた。しかしまあ、正直言ってちょっと釣り針が大きすぎた。下図はコドモたちが男女二人組で乗り込む巨大ロボット・フランクスの操縦シーンなのだが、まあなんとも露悪的である。
特にこの操縦法が初めてお披露目となった第二話は、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」ばりにダブルミーニング全開で、セックスのワンシーンを思わせる言葉がこれでもかと散りばめられていた*2。これによりお色気枠やエロバカアニメ枠と早合点されてしまった感は否めない。
また過去のロボットアニメやガイナックスアニメ*3の意図的な反復は、当然過去作との比較を呼び、そして結果的には表面的な模倣に過ぎないとして落胆を生んでしまった。
そして本来の釣り針であったはずの不穏な設定は、 それが物語内で伏線として現れたり回収される頃には、もうあまり話題にされなくなってしまっていた。
そんな「ダリフラ」だが、最新話では実はこんなことになっている。
主人公であるヒロ(上村祐翔)とメインヒロインであるゼロツー(戸松遥)の機体であるストレリチアは火星付近まで飛翔し、叫竜ではなくむしろ彼らと共に宇宙からの侵略者VIRMと戦闘しており、その過程で上図のような姿になった。わけがわからないよ……。
どうしてこうなった……感は正直否めない。しかし一つ言えることがある。これが愛の力の為せる業だということだ。そしてそれ故に、「ダイミダラー」だの「エヴァ」だの過と言われていた本作は人気ロックバンド・RADWIMPSの初期曲の歌詞みたいになってしまった。
どういうことか。それを述べる前に、まずは「ダリフラ」内の勝利のロジックについて記述を通じて「愛の力」について書こう。
多くの作品には、目標達成ためのロジックが内部的に用意されている。あるいは「勝利条件」と言い換えてもよいかもしれない。
作劇では基本的に、直接それが大事と語らずともこのロジックを以て、作品が伝えたい価値観やテーマを表現する。
例えば上に引いた記事で紹介した映画『ちはやふる 上の句』においては、瑞沢高校かるた部が北央高校に勝利したのは、瑞沢が「本当のチーム」になったからだった。
「ダリフラ」において勝利の鍵は「愛の力」だった。
描かれるのが人類が到底太刀打ちできそうにない相手との戦闘である以上、なかなか一筋縄では行かずピンチに陥ることもある。しかしそのたびに、メインで描かれる13部隊のコドモたちは愛の力で以て危機を脱した。
当然ヒロとゼロツーにも危機は訪れた。二人の仲は幾度も引き裂かれそうになったが、最後は和解して愛を囁き合った。そう。二人は幾度も愛の力を発揮したのだ。これは他のコドモたちには見られない特徴である。そしてそれ故に、ストレリチアはあんなことになってしまったのだ。
作品的には危機を次第に大きくして盛り上げる必要があるので、危機に陥るたびそれは次第に解決が難しいものになっていく。その度に、解決のために発揮される愛の力は大きくなる。ゴムの先にボールを付けて投げると、強く投げた方が遠くに飛び、そして勢いよく戻ってくるように。この愛の力のインフレが、その発揮に伴って生じるストレリチアのパワーアップをこれほどまでのものにしたのだ。
ここでようやくRADWIMPSの話に入れる。
RADWIMPSの魅力はなんだろうか。リズム隊、技巧的な楽曲など。売れているバンドだけにいろいろ実際にはあるのだろうが、その中でも私が注目したいのは歌詞である。
しかし歌詞が魅力と述べた際に付きまとう「共感できる」というフレーズに反し、フロントマン野田洋次郎の書く詞は安易な共感を拒絶するが如く尖りまくっている。
上に引いた記事で上田啓太氏が述べているように、野田の歌詞は「恋愛でベロベロに酔っぱらった状態で書かれている」。これは特に、自身のバンド名をアルバム名に冠していた4thアルバムまでの「初期」において顕著である。
野田の恋愛詞において、恋愛対象(主に女性)は過度に感情移入され崇拝されるかもしくは人類の敵であるかのように語られる。
だって君は世界初の 肉眼で確認できる愛 地上で唯一で会える神様
誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろ? だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く
途中から恋人を勝手に「神様」にしたのに、その直後からそれは当たり前のこととして「地球を丸くした」と語られる。この暴走っぷりは、しかし恋の病の状態を詞に落とし込んだらこうなるという形そのものだし、だから若者の人気を掴んだのだろう。
「ダリフラ」において幾度も愛の力を発揮したヒロとゼロツーは、どんどんその親密さを深めていったが、そのことに起因するストレリチアのパワーアップは正直言って常軌を逸している。
最初から極端に強いことは除いても、他のフランクスが二足歩行をしている――最新話では特に説明もないまま宇宙空間で戦闘できるようになっていたが、あくまで常識的なサイズの人型を保っている――のに対して、ストレリチアは最新話に置いて上に貼った図のように超巨大になり――他のフランクスは目ほどの大きさしかない――ケンタウロスのようなフォルムになりかつ思いっきりゼロツーの顔になっている。
このフォルムは、明らかにほかのフランクスたちと異なっており、そのパワーにも歴然とした差がある。これを「常軌を逸している」と言わずして何と言おう。
愛の力が危機を乗り越える力を与える=パワーアップを齎すならば、これだけのパワーアップを齎したヒロとゼロツーの愛もまた常軌を逸しているということになる。
ここで第15話において、ストレリチアの新フォームが登場した回の会話の一部を載せよう。
「ゼロツー!」
「ダーリン!」
「ゼロツー!」
「ダーリン……ダーリン、ダーリン! ダーリン!!」
「ダーリン……ボクは君と出会えてよかった! 大好きだ!」
「ゼロツー! 僕もだよ! 君が大好きだ!!」
「ゼロツー! あのドームだ。行ける?」
「もちろん! ダーリンとなら!」
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第15話「比翼の鳥」より
ゼロツー、ダーリンうるせえよ。お前は「しるし」の桜井和寿か。
そして「あのドーム」まで「行ける」=届くか、と問われた際に「もちろん」と答え、その根拠に「ダーリンと」一緒であることを挙げる恋を根拠とした万能感は、気持ちが燃え上がるあまり周囲が見えなくなってしまったカップルのそれである。
新フォームのパワーは雲を晴らし青空が顔を出す。青はセカイ系の色ですね。
上述のセリフだけではベタ甘なだけで、凡庸なラブソングと変わらないじゃないか、と思われるかもしれない。
しかし作中においてコドモたちは性愛の知識を禁忌とされ、「好き」という言葉も感情もゼロツーとの接触なしには知り得なかったのだから、あのベタ甘は私たちが通常感じる以上にベタベタの甘々なのだ。そして、ほかのコドモたちは、男女二人がメインで扱われる回であっても「好き」という言葉を交わすことはほとんどない。
これに対して、16話以降のヒロとゼロツーはスキあらばイチャついているし、何よりストレリチアのパワーアップ回においては、たびたびイメージの世界で交流し、お互いに「好きだ」と再告白し合い、濃厚なキスをしている。そもそも、火星付近になんか魂があるらしい恋人と「迎えに行く」と約束したから、と宇宙に行くことを即決できている時点でぶっ飛んでいる。
六星占術だろうと 大殺界だろうと 俺が木星人で君が火星人だろうと 君が言い張っても
俺は地球人だよ いや、でも仮に木星人でも たかが隣の星だろ?
一生の一度のワープをここで使うよ
(RAWIMPS- ふたりごと)
私は二人の恋愛/愛の力の熱量を前にして、物語が進むたびに「いや、お前もはやこれRADWIMPSの歌詞やろ」と言いながらたじろぐほかない。
イメージの世界で睦言を変わり始めた瞬間、頭のなかでは「スパークル」が大音量で流れ始める。
運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を 伸ばそうと届かない場所で 僕ら恋をする
時計の針も二人を 横目に見ながら進む こんな世界を二人で一生、いや何章でも 生き抜いていこう
「二人で……絵本の最後を書き換えよう」
「ダーリン……」
「誓うよ……永遠に離さない」
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第23話「ダーリン・イン・ザ・フランキス」より
ぶっちゃけ作劇上の瑕疵とか言いたいことはいろいろあるが、ここまでくると、二人が幸せならそれでいいや、みたいな気分になって来る。
振り切れた恋愛物語の強みは、案外そんなところにあるのかもしれない。
二人の来るべき幸せなシーンの上には、これまでがそうであったように曇りなき青空が広がっているに違いない。
恋してるんだ。恋空……*4。