ヤンキーになりたかった

食う寝る遊ぶエビデイ

髪を切った話と映画『タンポポ』の話で、要は美味しいラーメン食べたいって話

先日、髪を切った。

髪を切るとなると理容室も美容室も苦手で、かつ「行きつけ」があるわけではないので、毎度どこに行くべきか困ってしまう。

この「行きつけ」がない理由もまた情けないのだが、書きだすと長くなるので今回は割愛する。

 

そういうわけでネットを使ってサロン探しをすることにした。

まずは理容室か美容室かだが、もうあの茹でたてのインスタント麺みたいな臭いのする理容室のタオルはこりごりだったし、サロン紹介の写真で自分を竹野内豊だと勘違いしてそうなスタッフばかりが出てくるのにも閉口したので、理髪店はやめようと思った。

それを決めて以降は、近場で予約のとれる美容室を、口コミを見つつ探した。隣駅にちょどよいサロン発見した。ボブカットを頼むと意地でもショートボブにするショートボブ狂がいるという口コミだったが、私の場合それで不利益をこうむる可能性も特になかったのでさっそく予約することにした。

その際にホットペーパービューティを使ったのは、電話口で「あたし、ローラ。はーい、おっけー。うふふ♡」ってやりたかったわけでは断じてなくて、ネット予約で済ませたかったから。

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施術自体は何事もなく終わった。事前のあらかたの不安は杞憂に終わった。

予想外だったのは、雑誌が鏡台の前に置いてあったことだ。理容室の漫画の延長線上で考えていたから、受付あたりのラックに突き刺さっているものを各々が席まで持っていく形式だと思っていたので、少々驚いた。

こうなるとどうしても気になってしまうは、プリセットしてある雑誌の種類である。

 

「Casa BRUTUS」と「POPEYE」。いずれもマガジンハウス社のカルチャー誌である。読者層は20代中盤から30代といったところか。まあ、何を読むか知らない初見の客の前に置くにはベターな選択だろう。

「Casa BRUTUS」の特集は「生き方を変える本」。雑誌の読者層なら知っているべき文化人が人生に影響を与えた本を紹介するらしかった。まあ、よくある感じの特集だ。

「POPEYE」の特集は「ニューヨーク退屈日記」。

人生は退屈な日々の連続だ。だから時々、ニューヨークにでも行きたくなるのか?

いや、ならねえだろ。バカかよ。

POPEYE(ポパイ) 2018年 5月号 [ニューヨーク退屈日記。]

POPEYE(ポパイ) 2018年 5月号 [ニューヨーク退屈日記。]

 

美容室からの帰り、本屋に寄って伊丹十三のエッセイを買ってしまった。というのも、先の特集名が他ならぬ伊丹十三 『ヨーロッパ退屈日記』のパロディだからだ。だが、そのまま『ヨーロッパ』を買うのも安直な気がして『女たちよ!』を購入した。我ながら面倒くさい性格である。

 

以来少しずつ『女たちよ!』を読み進めている。大学時代にエッセイを読み、そして書く授業があった。それを履修したころ私はちょうど文章が書けない状態で、課題ができないので足を運ばなくなったが、その授業で扱われる作家の一人が伊丹十三だった。

だから、読んでいるうちになんだかその補習を受けているような気分になる。糸井重里須賀敦子色川武大向田邦子……。ベタなラインナップだが、彼/彼女らを読むときは、今後もそのほとんど出ていない授業を思い出してしまうのかもしれないし、学生時代を思い出すたびに彼/彼女らのことを思い出すのかもしれない。 

 

まあ私の感傷は脇に置くとして、読みながら私が感じたのは、映画『タンポポ』(1985年)の優秀なサブテキストであるということだ。

タンポポ<Blu-ray>

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タンポポ』は、タンクローリー運転手のゴロー(山崎努)(とガン(渡辺謙))が、偶然入ったラーメン屋の店主タンポポ宮本信子)にラーメン作りのイロハを教え、「行列のできるラーメン屋」を目指す映画である。

あらすじだけ書くとなんともクソ映画のようだが、たびたびインサートされる小エピソードの数々によるスケッチ集的な作りや食にかんする伊丹流のフィロソフィのようなものの提示が何とも面白い快作だ。そしてそのフィロソフィや出し方が、非常に『女たちよ!』にも表れているように思えるのだ。

 

『女たちよ!』にて啓蒙されるのは本質主義である。そして、日本人のほとんどは本質を理解していないと言う。そしてレストランも最悪で、西洋の猿真似ばかりをしていると。代わりに自分がそれを教えてやろう、とこういうわけだ。

では伊丹はそれをどこで知ったかというと、ヨーロッパの人びととの交流においてであり、それらは彼らの皮膚感覚に根差したものであるともいう。ヨーロッパ人は、どのように家庭で美味しいマヨネーズを作るのか、など。

ここから導出できるのは、こういうことだ。市井においてこそ本質はあるのであり、それは本質的なものに多く触れなければ分からない。

だから『タンポポ』において修行パートでたびたびライバル店を実食し、またタンポポの先生になるのは美食のホームレスたちなのだ。

 

こうして別々の作品が相互浸透的により分かっていくような感覚、一本補助線が引かれていくような感覚は非常に心地の良い、作品に触れる際の快楽のひとつでもある。今回は図らずもその経験が得られて、個人的にはとても楽しかった*1

 

タンポポ』に触れると、ラーメンが食べたくなって困る。

理容室や美容室と同様に、これも美味しくて入りやすいそんな「行きつけ」を、この街に引っ越してきて1年以上が経っているのに見つけられていない*2のでさらに困る。

retrip.jp

 

本当にその街に住んでいることになるのは、生活と土地に結びついたいくつかの「行きつけ」の店を作ったときなのかもしれない。

私の行きつけは、近くのセブンイレブンファミリーマート、あとは松屋やよい軒ベローチェなので、私はこの街に本当の意味では住んでいないのかもしれない。

 

はあ、ラーメン食べたい。

 

*1:同じ伊丹十三作品であるから想定しておくべきだったのかもしれないが。

*2:とても美味しいラーメン屋はあるのだが1時間以上並ぶことは覚悟しないといけないので、滅多に行けない。