ヤンキーになりたかった

食う寝る遊ぶエビデイ

アイドル冠バラエティ番組というファンタジー、あるいは加藤史帆のホームランについて

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憂鬱で仕方ない日曜日の夜に、テレビ東京でこんな名前の番組が流れている。

「乃木坂工事中」「襷って、書けない?」「日向坂で会いましょう」

みんな、坂道グループの冠バラエティ番組だ。

 

これらの番組はみな、男性芸人と10~20代前半のアイドルたちが繰り広げるトークバラエティの形式を取る。

立ち位置としては、男性芸人がMCをして、アイドルたちはひな壇を務める。

芸人の年齢が高くなりがちなのは、MCを回せる実力が求められるからだろう。

 

番組中、アイドルたちは制服を模したような衣装に身を包む。

芸人らは、よくスーツないしビジネスカジュアルライクな服装に身を包む。

だからだろうか。

私はそこに、「理想的なクラス」のようなものを見出してしまう。

MCを務める芸人を担任とし、彼女らが生徒であるような、そんなクラスを。

 

そのクラスには間違いなく裏がない。

なぜならそのクラスは、あの収録スタジオにしか、そしてカメラが回っているとき=表の時間にしか存在しないからだ。

仮に、メンバー間に仲違いなどがあったとしても、フィクションとして作られた場にしかそもそも存在し得ないクラスには、それは表出しない。

その時空は、まぎれもなくファンタジーだ。

素晴らしい、和気あいあいとしたクラスルームの――。

 

そしてこの前提において、彼女らのバラエティスキルの低さは、武器になる。

グダグダ感を隠しきれない彼女らのトークや持ち時間は、今にして思えばなにが面白かったのか言語化しがたい、笑い転げたあの頃の時間を想起させる。

それが「クラス」感であり、教室感という物語の強度をむしろ高めるものとして作用するのだ。

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また、しかし、そのグダグダな時間もMCが存在するおかげで見られるものつまり番組になる。

そのトークを見て、彼女らはバラエティを学んでいく。

さながら、巣立つ時期に向け餌取りのレッスンをする親鳥とひな鳥のようである*1

 

乃木坂46紅白歌合戦に出たとき、NHKホールの客席側に設けられたブースにいたバナナマンが彼女らに手を振っていた。

彼らを見つけたメンバーは、少し感極まったような顔をして、手を振り返していた。

それはもちろん、「乃木坂工事中」およびその前番組であった「乃木坂って、どこ?」においてバナナマンがMCを務めていたからだ。

番組で共演しているから仲がよい、というだけの話では勿論ない。

彼女らは今の地位に至るまでに、そのバラエティ番組で鍛えられたわけだ。

師弟関係――つまり先生と生徒である*2

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 さて、なぜ私がこんなに熱弁をふるうかと言うと、つい先日(6月9日)、「日向坂で会いましょう」を見たからだ。

その回では、メンバーの「意外な一面」を見つけよう、という企画が展開されていた。

デビューし他番組での露出も増えてきたメンバーが、同じ特技ばかり披露して飽きられることがないよう、「2周目」以降もテレビ的に使える武器がなくては――というストーリーだった。

 

そのなかで富田鈴花が「野球のピッチング」が得意だとアピールし、MCを務めるオードリーの若林とキャッチボールをすることになった。

キャッチングは上手いしそれなりには投げれて、「良い感じ」。

そこで若林は、他にも投げてみたい人いる? とメンバーに問いかける。

すると、高本彩花柿崎芽実、佐々木久美、東村芽依加藤史帆が手を挙げる。

この加藤史帆が素晴らしかった。

 

まず3回連続で、地面に叩きつける殺人投法。

絵と音のインパクトも、天丼なのも素晴らしい。最高*3

そして、その加藤、「バッティングのほうが得意」と主張し、実際に打席に立たせ春日が投げてみたときの画像が、こちらである。

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腰が入り、体の前に壁を作り、バット が身体に巻き付くように回る。

まさしく完璧なホームランだった。

もうこんなの笑うしかない。

殺人投法からのギャップが完全に効いている。

最高だ。完璧に持っていかれた。ボールも、笑いも。

 

アイドルバラエティはグダグダなことが多い、と先ほどは述べた。

しかしときどき、こういう「完璧」な瞬間が訪れるのだろう。

やっぱりそれは、教室で本当に稀に起こる「化学反応」みたいに*4

 

この「完璧」さ、オードリーの2人が腹を抱えて笑い転げていたのも良かった*5

この「楽しさ」は、何よりのエンタテインメントたりえる。

「こういう番組」の楽しみ方を解した気がした、そんな日曜日の少し楽しい夜だった。

 

*1:ここでは言うまでもなく、バラエティスキルは、単純な面白さのスキルと、キャリア形成に必要な「必須科目」を兼ねている。 

*2:先ほど、「クラス」は当該番組のスタジオにしか存在しない、と述べた。だから厳密には、ここでバナナマンと乃木坂の師弟関係を持ち出すのはやや卑怯ではある。だが、これは紅白という「晴れ舞台」だからあり得たものだとして了解して欲しい。安全で、楽しいクラスと、その晴れ舞台しか存在しない――そんなクラスはやはりファンタジーだ。

*3:「俺的にはね、あと8回被せたい」と笑いながら言う若林も最高。

*4:学校の近くに雷が落ちたとき、爆音がするなり立ち上がり、拳を突き上げ「ドーンッ!」と叫んだクラスメイトを思い出す。字面にすると別に面白くもなんともないが、あの瞬間はとても面白かった。

*5:というか、私は単にオードリーが好きなのである。このままだと、日向坂の最推しがオードリー若林になりかねない。

『プロメア』感想: 堺雅人の口から蒙古タンメン中本のスープ

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今石洋之監督、中島かずき脚本、そしてTRIGGER制作の映画『プロメア』を観てきた。

これが良すぎて、とても興奮してしまって、さめやらない。

 

とても「楽しい」映画だった。

無論、とても面白く観たのだが、感想としては「面白い」より「楽しい」が先に出る。

今回は、そんな『プロメア』について書いていきたいと思う。

 

なお以降の記述には『プロメア』のネタバレを含む。

 

 『プロメア』の世界には、炎を操る新人類バーニッシュが存在する。

彼らは30年前に現れ、彼らの出現に端を発する世界大炎上により多くの人命が失われた。

プロメポリスでは、放火テロを繰り返す過激派バーニッシュ集団マッドバーニッシュに抗するため、高機動救命消防隊バーニングレスキューが消火活動を行っていた。

バーニングレスキューの新米隊員であり、プロメテウスの司政官クレイ・フォーサイト堺雅人)に命を救われたこともあるガロ・ティモス(松山ケンイチ)は、火災現場でマッドバーニッシュの首魁であるリオ・フォーティア(早乙女太一)と出会う。

この2人の出会い以降、物語は大きく動き始める――。

あらすじや世界観はこんなところだ。

 

『プロメア』は様々な「解説」や「批評」を書けうる映画である。

ぐるぐるカメラワークは観ていてワクワクする。

炎が三角形で表現されているところなど、露骨に何か「意図」がある。

「火」「消し」の言葉遊びも、聞いていて心地が良い。

しかしそんなことは、ここではあまり書くつもりはない。

そういったモティーフや技巧について、私が書くよりより上手にしたためられたブログも、もう既に世間には溢れていることだろう。

それに、上に挙げたものに価値がないとは言わないが、映画を観終わったあとの私は完全にそれどころじゃなかった。

堺雅人がヤバかったからだ

 

映画では冒頭、世界観がざっくりと語られ、そのまま現代のバーニッシュによる火災テロ事件のシーンへと移る。

このシーケンスが、いきなりの澤野サウンドも伴ってとてもかっこいい。

そこから始まるアクションシーンも、ワクワクさせられる。

 

この戦闘でガロはリオを捕らえ――身柄はフリーズフォースが連行するが――プロメポリスの司政官であるクレイ・フォーサイトから勲章を受ける。

ここに来て、初めて堺雅人のセリフが聞ける。 

 

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堺雅人なんて「有名な」俳優を起用している時点で、クレイは単なる司政官であるはずがない。

だから何か裏のあるキャラクターだという予測は立てていた。

そして堺雅人だし、まあそのあたりは上手に演じるだろう、ぐらいに公開前から思っていた。

公開直後から、堺雅人がヤバいというツイートがたくさんタイムラインを駆け抜けていった*1

クレイが初めて口を開いたとき、私は「あ、堺雅人だ」と思い、そんな一連のツイートのことを思い出していた。

 

スタッフの名を並べた時点でそうならないと確信できても良かったような、当初の私の推測を述べさせてほしい。

堺雅人と言うと「リーガル・ハイ」は当たり役だった。毒舌で偏屈で、ひどく早口でまくしたてるように喋る人格破綻者の弁護士・古美門研介。

しかし、彼は当然そんな大味の演技しかできないわけじゃない。むしろ、あまり大きく表情を変えるでなく、何かが感を雄弁すぎるほど語る、そんな演技も魅力なのだ。

それは些細な筋肉の動きか、あるいは声色の変化か。

仔細なことを論じられるほど私は演技には明るくないが、兎角、クレイの糸目を見ていると、そんな繊細な演技が「ヤバい」んだろうと思っていた。

 

まったく愚かな予想だった。

映画中盤以降、まあ色々紆余曲折を経て、ガロとクレイは対立することになる。

そしてそれ以降の、堺雅人、もうまじでノリノリなんである

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 驚くべきほどに順調な出世ルートを歩んできた司政官であり、ガロの命の恩人であるクレイが理事長を務めるフォーサイト財団が、バーニッシュに対し人体実験を行っていることを、ガロはリオの口から聞かされる。

その話は果たして本当であり、彼はマグマの活動が活発し半年後には人の住めない星となる地球に見切りをつけ、10,000人の人類を乗せたノアの方舟たる宇宙船パルナスサス号で、4光年離れた星へと移住するパルナスサス計画を進めていた。

そして、バーニッシュをその宇宙船に不可欠であるワープ装置の動力源とすべく、実験を繰り返していたのだった。

さらにクレイは、プロメテウス博士(古田新太)を殺害し、博士の研究成果を横取りしていた。

まあ、とんでもないクソ野郎だったわけである。

 

この「クソ野郎」という一方的かつ完全な「悪」という構図が、作中ずっと存在するわけじゃない。

そもそも『プロメア』においては、絶対的な正義なるものは切り崩される。だから、完全なる悪なるものも存在し得ない*2

しかし、目的のため人命を軽視する者と主人公の対立は少なくとも必至である

 

ガロとリオは、プロメテウス博士の開発したデウス・エックス・マキナに乗り込み、パルナスサス計画を実行に移さんとしているクレイを止めにいく。

クレイは、デウス・エックス・マキナ改めリオデガロン*3を妨害すべく、自身もロボット・クレイザーX*4に乗り込み対峙する。

ここからの演技がすごいのである。

まあ、わかりやすく言えば「熱演」につぐ「熱演」、「大熱演」。

あまりの熱演ぶりに、私は思わず笑いそうになり、口を抑えながらスクリーンを見つめた。

 

べつに演技におかしなところなんかなかった。

ゲスト声優に対してよくある「棒読みで草」なんてことを思ったわけでは全然ない。

むしろ反対に、なんかもうすごすぎて、そして楽しすぎて笑けてきたのだ。

サッカーの試合で、もうわけがわからないゴラッソを見て思わず笑ってしまうみたいに。

そしてこの堺雅人、加減とか全然知らない。

もう全セリフ、全力でこっちのことを殺しにきている。

堺雅人の口から内閣総辞職ビーム。

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堺雅人の演技のテンションは昂ぶっていく。

もうこれが全力だろ、と何回も思う。

しかし、セリフを発する度にその「全力」を超え、どんどん勢いを増す。

「もっと頂戴」なんて言葉があるけれど、まじで「もっと」くれるのだ。

サービス精神の鬼。KAT-TUNのライブでいうと、「Real Face」を連チャンでやってくれるぐらいすごい。

「ギリギリでいつも生きていたい」そのギリギリのはずのラインすら更に「思いっきりブチ破」ってくる。

もうやばすぎてこちとら「泣き出す嬢ちゃん」になるしかなくて、田中はJOKER。

KAT-TUNのライブ知らんけど。

 

ここですごいのが、堺雅人がどこまで行ってもちゃんと堺雅人であることだった。

アニメに合わせてか大仰にやった部分はあるだろう。それが「全力」を感じさせたところがないとは言えないだろう。

しかし、その声はちゃんと堺雅人だった。無理がなかったのだ。

だから、これは最初から最後までキャラクターの延長線上にある声なのだ。

そしてそれでいて、いや、だからこそ、TRIGGERであり中島かずき作品のキャラクターなのだ。

あぁ! 堺雅人がロボットに乗っている!

堺雅人が、彼らの「いつものやつ」をやっている!

めっちゃ見たいやつじゃん!

そんな愉快な気持ちになり、この「凄まじさ」と相まって、とても笑いたくなったのだ。

 

そんなわけで、堺雅人の演技を前に、私のテンションはぶち上がってしまった。

映画館じゃなければ、その場で拳を突き上げたかった。

「Fuuuuuuuuuuuuuu!!!!!!!」と叫びたかった。

 観たいものを見せてくれたことに打ち震え、その喜びを表明したくなったのだ。

したいのは応援上演じゃない。

持ち込んでいいのはサイリウムじゃない。酒かコカ・コーラだ。

そして、ステレオタイプアメリカ人が如く叫ぶのだ。

「Fuuuuuuuuuuuuuu!!!!!!!」と――。

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さて、肝心のストーリーや意匠なんかについては書かないと先述したが、正直なところ、 あまり憶えちゃいないのだ。

ちゃんと解説とかしてくれているブログを読むと、ああそうだったね、なんて思い出せる。なかなか手に汗握って観たような記憶もある。

しかし私が途中から、ストーリーとかどうでもいいモードに入ってしまったのだ。

アクションでどっひゃー! って言いてえし、堺雅人堺雅人だし、もういいじゃん、みたいな。

ラストシーンは澤野サウンドが鳴り響く中、もう「ごっつぁんです」しか言えない。 完全なるK.O劇。

中国人の経営している中華料理店で、もうバカみたいな量の料理が出てくるあの感じ。

 

演技のテンションも高かったが、アクションシーンのカロリーもなかなかに高い映画だったことは記憶している。

だからまじで胃もたれを起こしかねない勢いではあるのだが、翌日もまた観たいとも思わせてくれる。

これがマジで意味が分からない。

たぶん蒙古タンメン中本に通う激辛好き共もこんな感じ。変な物質がたぶん頭の中で出て、すごいやばかった。

新手のクスリ。大麻よりプロメア

 

そんなわけで、堺雅人*5がやべえ映画『プロメア』をよろしくお願いします。

ちなみに映像もやべえし音楽もやべえし、いろいろやべえです。

てか、やべえんで。はい。

 

*1:こちらのtogetterを参照のこと。

*2:これらの記述については、こちらのような、ちゃんとした解説を含む他のブログの感想記事を参照してほしい。

*3:改めたのは、そのままのロボットの容姿だとガロのバイブスが上がらなかったため。

*4:ガロが勝手に命名

*5:堺雅人ばかりフィーチャーしたけど、彼が決して浮いてはいない、つまり彼と張り合いきった松山ケンイチとか早乙女太一もすごい。無論、今石・中島コンビ常連勢もすごいし、超楽しい演技合戦で、佐倉綾音は可愛い。

20代会社員男性、賢者の孫にハマる

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ここ最近の私ときたら、『賢者の孫』を見て爆笑している。

これがもう本当に面白くて仕方がない。

 

『賢者の孫』は、小説投稿サイト「小説家になろう」に掲載され、現在はファミ通文庫から書籍版が刊行されている同名小説を原作としたTVアニメだ。

Wikipediaからで恐縮だが、あらすじを引用しよう。

この世界で名を知らぬ者はいない偉大な賢者マーリンに拾われたシン=ウォルフォードは、前世の記憶を持つ異世界転生者であった。

しかし、人里から離れた地にてマーリンに育てられた結果、シンは規格外の魔法使いにして一般常識と無縁な世間知らずになってしまう。家によく訪れるディスおじさんの勧めもあり、シンは王国アールスハイド高等魔法学院へ通うことになるが、型破りな彼はさまざまな事件に巻き込まれる。

賢者の孫 - Wikipedia より)

 

上記の紹介とあらすじから推測できるように、『賢者の孫』はいわゆる「なろう系」のお約束が詰められたような作品である。何ならば、ちょっと嗤われるぐらいの。

私も、最初は正直あまり期待していなかった。

「よく聞くタイトルだし、話題になるぐらいなのだからどういうものなのか全く知らないわけにもいくまい」ぐらいの気持ちだった。

しかし、これがなかなかどうして面白いのである。

 

「なろう系」といえば、前クールまでやっていた『転生したらスライムだった件』も面白かった。あれには、IQ60的な面白さがあった。

平凡なことを言っているのに「さすがはリムル様!」の大合唱が始まることと言い、元37歳ゼネコン勤務とは思えないほどの交渉術と言い、なかなか楽しませてもらった。

それと比して言うならば、『賢者の孫』にはIQ20的な面白さがある。

今回は、そんな『賢者の孫』の面白さをご紹介したい。

 

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まず第1話アバン。異世界転生のお約束として、主人公は死ぬわけだが、あまりにも流れ作業で死ぬ。

「疲れたなあ……」とかもなく、あっさりと信号無視で横断歩道を渡ろうとして、死ぬ。

ほぼ異世界転生RTA。もはや直前の、車が車線変更するシーンですら面白い。

 

ちなみに、このアバンつまり希少なサラリーマン時代に、こんなカットがある。

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段ボール詰めの本。子供向けの科学の本に関連した会社のようだ。

仕事の多さなら、書類の山を見せればいいだけなのに――なんだか意味深なカットだ。

ここから、主人公が生前は理科好きで、その知識は転生後も継承されて、なんて展開を期待させるが、残念ながら4話時点ではほとんどそんなシーンはない。

 

さて、かくして主人公は異世界転生する。転移した赤ん坊は、賢者マーリンに拾われ、彼はシン=ウォルフォードとして生きていくことになる。

そんなシンはAパート開始直後、ニワトリとイノシシを魔法でぶっ殺す。

生物に容赦がないので、『賢者の孫』は実質ジョジョ

「ぶッ殺す」って心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!

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この直後、シンのモノローグで、幼少期から彼が前世の記憶を持っていることが明かされる。

しかしその記憶が物語に関わることは、前述のとおり、ほとんどない。

マジでファンタジーの影響で呪文の詠唱を恥じらうところぐらい。なんのための前世だよ。

 

ちなみに、シンくんのチートっぷりはこの1話Aパート時点から絶好調だ。

さすがシン! 俺達に出来ないことを平然とやってのけるッ そこに――いや、やめておこうか、これは。

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そんなシンにも「ツッコミポイント」がある。

『転スラ』で、転生したらなんと雑魚モンスタのスライムで、なのに何故かチート級、というメタ的笑いがあったように。

『賢者の孫』でそれにあたるのは、マーリンが魔法を教え、偶然にも*1シンの素養が素晴らしかったことも相まって、シンは超絶スーパーめちゃつよ魔法使いになるのだが、マーリンはシンに常識を教えるのを忘れていた、ということだ。

 

この非常識さが、あの有名な「またオレなにかやっちゃいました?」につながる。

つまり自身の実力を、物差しのなさ故に過小評価して「やりすぎ」てしまい、周囲から賞賛を集めてしまうという構造が「非常識さ」に支えられているのだ。

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しかし何よりも注目したいのは、マーリンが「常識教えるの忘れとった」と言った際のその場にいた人たちの反応である。

この「うっかり発言」を受け、その場にいた数名は「はぁぁああああ!?」と声を上げるのだが、その声の大きさと衝撃の度合いがが、家から出る集中線で表現される。

今日び、こんな演出見かけない。

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このアニメの特徴に、上記のやたら古典的なシーンなど、ところどころに挟まれるおかしな演出やセリフが挙げられる*2

たとえばOPで毎度流れる、奥手なヒロインが主人公を前にドギマギする様子を木陰から見ていた親友キャラが、「やれやれ」と両手を広げて顔芸をするシーンも今日び見ない。

もはや懐かしさすら憶えない。ほとんどドリフ。歴史*3

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そんな演出的なおかしみは、1話にて、魔法学校入学に向けシンらが王都に向かうシーンでもいかんなく発揮される。

王都の入り口で、身分書を確認した憲兵は、「け、賢者マーリン殿と、導師メリダ殿でありますか!?」と叫ぶ。

そして、この有名人を一目見ようと王都中から人が駆けてくる。

その様子がこちらなのだが、いや遠くからやってきすぎだろ、地獄耳かよお前ら。

そして集団の描き方は極めて雑。OK SILVER LINK!それでいい!その描き方がいい!

てか、それだけ有名人で王国の英雄なら身分証見せるまでもなく顔パスであれよ

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ちなみに1話はこの後、街に出たシンがモブの暴漢に絡まれているヒロインを助けるお約束の展開が待ち受けている。

テンプレなモブは非常に元気があってよろしい。モブはこうでなければ。

そしてヒロインはおっぱいが超デカい。これが「いい」んじゃあないか!

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そして最後にオープニングが流れる。

長い長い20分だった。ウォーミングアップも完了し、温まった私たち視聴者はなにを見ても面白く感じる。

もうこのサビが元気すぎるi☆Risの曲すら面白く感じられるし、歌詞のテロップが表示されているだけで腹を抱えて笑える。ありがとう、avex

そして、私たちは、『賢者の孫』の虜になっている。

わかったよ『賢者の孫』!!『賢者の孫』のミリキが!「言葉」ではなく「心」で理解できた!

そういうわけだ。

 

この作品のタイトルは『賢者の孫』は、すなわちシン=ウォルフォードその人を指している。

しかし、シンはマーリンに拾われた身であり血縁関係はない。養子という言葉はあれど、養孫という言葉はない。つまりシンはそもそも孫じゃない。よしんば実はシンの父親がマーリンの息子であったとしても、たぶんアニメはそこまで行かない。

そして、何よりこのマーリン、今のところまったく賢者じゃない

賢者も孫もいないのに、『賢者の孫』とはこれ如何に……。まあ『ジョジョ』もだんだん主人公が「ジョジョ」って呼ばれなくなっているし、似たようなものか……?

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「賢者の孫」ことシン=ウォルフォードくんは、その力ゆえにまっとうに生きられるわけがなく、アニメでもさっそく様々なトラブルに巻き込まれつつ頑張っている。

3話では同級生のカートが魔人化したので、首を落としてぶっ殺している。

「こうするしかなかったのかな……」と無力感を噛みしめるセリフはあれど、直後、王都の兵士たちは「新しい英雄!」と騒ぎ立てる。

これが本人と周囲の温度差の演出につながればいいが、シンもずっこけてるし、4話アバンでは、極めて冷静に当時のことを振り返っている。わりとサイコ

そして、3話では、カート殺害直後、「初めて人を……」と、少々驚き、かつ怯えているようなシーンがあったのに、4話終盤では人をソーラービームで焼き殺そうとしている。わりとサイコ。

ちなみにソーラービームを撃ったあとで、「太陽の光は」云々と一瞬言っているが、もう児童向け科学本のくだりとかたぶん誰も憶えていない。

 

規格外の強さを持ち、加減を知らず、時にサイコなシン=ウォルフォード。

しかし、よくよく考えれば、非常識というイノセンスを持つ彼は、常識という偏見の総体*4から自由な「天使」 なのかもしれない。

そして彼は、我々に、呪文の詠唱=言葉よりもイメージを大事にし、自由に振る舞うことが大事であると教えてくださっているのだ。

天使であるとすれば、時にソーラービームを撃っても何ら不思議じゃない。

知らんけど。

 

というわけで、今回はここまで『賢者の孫』の魅力を紹介してきた。

「褒めそやす」「小馬鹿にもする」――「両方」やらなくっちゃあいけないってのが「こういう記事」のつらいところだ。

いかがだっただろうか。

この記事を通じて私がつまるところ何を言いたかったのかというと、ジョジョの奇妙な冒険』は最高ってことです。

チョコラータ&セッコ戦を見ましょう。

それでは、今日はこのあたりで。アリーヴェデルチ

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*1:実際にはまったくの偶然ではなく、異世界転生者ならではの理由がある必然なのだろうが、アニメでは4話時点で何も説明されていない。

*2:記事中に挟む余裕が無いため脚注で触れるが、例えば国王は王太子だった学生時代に、国が決めた学徒動員に志願し魔人討伐隊に加わったらしいのだが、この世界観で「学徒動員」と言われると思わず笑ってしまう。

*3:その意味では、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』も面白い。今日び「おやびん」なんてセリフ、あのアニメでしか聞くことが出来ない。

*4:「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」アルベルト・アインシュタイン

『あみこ』感想: レモンスカッシュパンチ

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映画『あみこ』を観た。ようやく観た。 

仕事の都合などもあり足を運べず、5ヶ月越しの対面と相成った。

 

そもそも私が映画館に足を運ぶのも10月初旬以来のことであった。

久々すぎて、途中で飽きたらどうしようかと不安だったが、それは杞憂だった。

 

というわけで感想である。いつものごとくネタバレを含む。

 

 

映画は、あみこ(春原愛良)が教室の窓辺からグラウンドを見つめるシーンでスタートする。

「2月3日、アオミくんがいない」

私が『あみこ』を観た日もちょうど2月3日だった。

そんなものはただの偶然でしかないのだが、ああ最高だな、と思った。

スクリーンでは、あみこが頭を抱えて崩れ落ち、近くにあった机が倒れる。

 

話はそれから時間を遡り、あみことアオミくんの「出会い」が描かれる。

とはいっても、互いに実は顔と名前ぐらいは知っている。

けれど、こうして話すのは初めて、みたいな距離感。

そのあとの会話で、あみこはアオミくんに惚れてしまう。

「意味ないって言ったら、この世の中なにもかも意味ないでしょ。全部どうでもいいよ。(……)普通の奴らは今こんなことに気づかないで、高校生活を送るでしょ。それで大人になって、ああ、あの頃はよかったって語られるのが今だよ。でも、今からそんなふうじゃずっと苦しいね。だからさ、もう意味とか考えずに最強になればいいと思うんだよね」

 ニヒリストなあみことアオミくん。

 

しかし、あみこは、それ以降アオミくんと話さない。

TSUTAYAでストーキングしたりするけれど話さない。

そしてアオミくんは、「大学に行ってブスになった」瑞樹先輩(長谷川愛悠)と付き合い始め、そのまま東京の彼女の家で同棲を始めてしまう。

あみこは、500玉貯金を友人の奏子(峯尾麻衣子)にちょっと色を付けて1万円札2枚に両替してもらい、 長野から東京に旅に出る。

物語は前半パートの長野編と後半の東京編に大きく二分されている。

 

この映画で最も印象に残っているセリフは、東京編のあのセリフである。

あみこは立教大学から出てくる瑞樹を見かけストーキングし、紆余曲折を経て彼女のアパートを突き止める。

そして翌朝、彼女が家を出た隙に部屋へ忍び込み、寝ているアオミくんに馬乗りになって(!)、アオミくんの顔を殴って(!!)起こし、会話をする。

そんなシーンで出てくる、こんなセリフ。

「あんな女、大衆文化じゃん!」

 

多くの人が言及する、分かりやすい「パワーワード」だ。

それをありがたそうに取り上げる感想はあまりに月並みだろう。

それにこの感情自体、フィクションの中では珍しいものじゃない。

あんな凡庸なやつ、なんであんな奴――対して私は、特別で、理解者になれて、エトセトラ。いくらでも、この感情を言語化する言葉は思いつく。

それでも、ここまでそれを印象深くし、かつ端的に表すワードをここに当てはめられた山中瑤子監督がひたすらに素晴らしいと、これを聴いた瞬間、思った。

 

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あみこは、自分たちは「特別」なんだと、どこかで思っていたんだろう。

その「特別さ」は、「真実」が見えてしまうということ。

ニヒリスティックな目で、世界を捉えてしまうということ。

これは、ストーリー紹介の次のような文章に顕れている*1

「人生頑張って仕方がない。どこへ行こうが意味はない、どうせ全員死ぬんだから。」―そんなあみこが恋に落ちたのは同じく超ニヒリストながらサッカー部の人気者でもあるアオミくん。一生忘れられない魂の時間を共有したふたりは、愛だの恋だのつまらない概念を超越した完全運命共同体現代日本のボニー&クライド、シド&ナンシーになるはずだったが…。

 

この前提があるから、「私、自分は長野市で一番可哀想な女の子だと思ってた。長野県全体だと8番目くらいで、北信越大会行けちゃうレベル」みたいなセリフがとても映える。

東京編に入って以降とくにフィルムは素晴らしいな、と思えるんだけれども、あみこの目から観たときに大きく変わってしまったアオミくんと、瑞樹の部屋で相対するシーンのあみこのセリフはとりわけ全部素晴らしい。

 

しかしこのままでは、あみこがどこにでもいる可哀想な、「特別」だと思ってる凡庸な女の子で、これはどこにでもある凡庸な話だった、という結論に至ってしまう。

もちろん、そうではない。

では、あみこと凡庸を分かつものは何なのだろうか。

 

ひとつたしかにあるのは「爆発」である。

あみこがレモンを齧るシーケンスを思い出そう。

山中はインタビューでこう述べている*2

(中略)あとレモンは梶井基次郎の『檸檬』(1925)が好きということもあって。

 あのレモンはまさしく丸善で爆発するはずだった爆弾と重ねられているのだ。

 

風呂であみこがレモンを齧るシーンでは、レモンにしゃぶりつく音が、アオミくんが瑞樹とフレンチ・キスをする際のリップノイズと重ねられる。二人はそのままベッドに倒れ込む。

だからレモンを齧るシーンと性を結びつけることは簡単だ*3

しかしだからこそ見逃されがちなことがある。それは、あみこが湯を張った風呂で、裸になって、体を丸めていたことだ。これは羊水に浮かぶ胎児のメタファーたりえる。

つまりあのシーンで、あみこは二人のセックスによって妊娠され=胎児となって、その後、再誕したのだ。

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キスについて、上に引いたインタビューで山中はこう述べている。

[引用者注: 気になる監督を訊かれ濱口竜介を挙げて]『PASSION』で急に風呂場でキスするところあるじゃないですか、ぞくぞくしちゃって。あの感覚が好きなんだと思うんです。これは『あみこ』のテーマのことなんですけど。だんだん年取っていくと、なにごともルーティン化しちゃって、新鮮さが薄れていくじゃないですか。

セックスにおける「新鮮さ」の喪失と「ルーティン化」については、舞城王太郎『淵の王』の中で次のように表現されている。

さおりちゃんは東京の大学を受ける。受かる。東京の調布市に住む。同じく東京の日本橋に住み始めた三奈想くんとも付き合い続けてるし、二度目のセックスもする。三度目も、四度目も。もちろんそんなの数えるのバカらしくなる。

セックスは、なるほどルーティン化する。もちろん、キスも。

だから、アオミくんと瑞樹も、あのまま付き合い続けていたら、マンネリ化し、そういったことに飽きたのかもしれないし、実はすでに飽きていたのかもしれない。

しかし胎児あるいは乳児たるあみこは、機関車みたいに、次々とレモンを音を立てて齧る。そのさまは、母乳を吸う赤子に似ている。

 

この純朴な必死さが、嘘を生きるられること、それをある種ルーティンとして引き受けていることを良しとしない。嘘の反対には真実がある。真実とは、まさにあみことアオミくんとの間に存在した、あの「魂の時間」である。

嘘を良しとしないならば、あみこの向かう先は東京の、瑞樹の部屋にいるアオミくんのもとしかない。

しかし、あみこが旅路の果てに出会ったのは、ニヒリスティックで真実を目に映す魅力的だった特別なアオミくんではなく、ヒモ同然の面白くもないアオミくんだった。

そして、名台詞が頻出するあの場面に至る――。

 

梶井基次郎檸檬』における「檸檬」は、「疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さ」であると思えるようなものであった。

しかしその感覚は当然「思いあがった諧謔心から」考えてしまった「馬鹿げたこと」であるとは自覚の上である。

だから、丸善に置かれた「檸檬」も爆発しない。

 

レモンというシミリと性と羊水のメタファーが演出した再誕も、所詮は、あみこを行動に向かわせるための虚偽でしかない。

だからあみこがアオミくんを殴るときも、実際的な力を「爆発」させるわけではない。

それは、指に「P×U×R×E」つまり純粋PUREの文字を書くことでなんとかつなぎとめられる純粋さであり、画面のこちら側に指の背を見せつけるような「おともだちパンチ」*4程度の力しかない。

 

すべては無意味だったのだろうか。

あみこが東京に出かけた、という事実は残る。

機関車みたいな「爆発」的行動を見せた、という事実は残る。

ほとんどすべてのことが無意味だったのだとしても、機関車的な、「無敵」の可能性を残していると期待することが許される限り、ニヒリズムに回収されない領土が存在すると信じられる。

それはきっと、とても青臭い、数少ない希望だ。

 

梶井基次郎檸檬』の引用は、「青空文庫」に拠る。

 

*1:Amiko.Official より

*2:山中瑶子インタビュー(『あみこ』):連載「新時代の映像作家たち」 – ecrit-o より

*3:そもそも、食と性はさまざまな作品で結び付けられてきた。伊丹十三の映画『タンポポ』を思い出そう。

*4:森見登美彦夜は短し歩けよ乙女』より

このアニメが(個人的に)見たい2018!

12/28。金曜日。

仕事納めだったという方も多いのではないだろうか。

私はちょうど有給を取ったので仕事納めは27日だった。同様に、連休を伸ばそうと何らか足掻いた方もいらっしゃるかもしれない。まあいずれにせよ年末年始の休暇に入ったばかりといった具合であろう。

 

今年は日と曜日の噛みあわせが良く、大型連休となっている人も多いと聞く。

しかし、Amazon Primeに入ったことを書いた記事でも紹介したが、NETFLIXの広告にあるように「実家は意外とやることない」のである。それでも多くの人は実家に帰ることになるんだろうし、私もそうなる予定である。面倒くさいな、マジで。

 

「実家は意外とやることない」はずなのに、なんだか親戚の家への移動だとか、諸々で案外と時間が取れないぞ、なんて未来は何となく見える。

それこそ、誰かのフォローばかりをしていたら定時がやってきて自分の仕事は何一つできていないことに気づいた平日みたいに。

だから「どうせ暇だろ」なんて書くのは自分の首を絞めることにもなりそうだが、あえてやってみたいのである。「このアニメが見たい」ってやつを。

 

「このミステリがすごい」

「このマンガがすごい」

「すごい」は耳馴染みがあるけれど「見たい」なのはこれ如何に?

問いかけ形式にしてみたが、別に何か壮大なカラクリがあるわけじゃない。

凄い、と言うとハードル上がりそうだから、この冬はこのアニメが見たいなあって思っているんだなあ、って書きたいな、というだけである。

上に引いた記事と同様に、現在つまり2018/12/29時点でAmazon Prime上で、Prime特典として見られるアニメ作品を対象とする。

 

 

 ■あそびあそばせ(2018, 全12話)

 2018年夏クールアニメにて、顔芸で話題をかっさらっていたらしい一作。

よくある日常系アニメなんだろ(ハナボジー

って感じで見送っていたのだが、せっかくあるなら見たい一作。

大学時代の知り合いとリプライでやり取りする際によく使われる、あのワンシーンが見たい!

――なんて呆れるぐらいに不純な動機なんだ………

 

たまこラブストーリー(2014, 映画)

 この作品のTVシリーズである『たまこマーケット』は見ていたのだが、結局未視聴のままになってしまっていた劇場版。

こちらの評判はすこぶる良いし、『聲の形』も『リズと青い鳥』も面白く観たのだが、いかんせん上記TVシリーズの印象が強すぎて……

モチマッズイなんかいらんかったんや……

そういえば、EDの「ねぐせ」はやたら好きだったな。

 

ゆるキャン△(2018, 全12話)

ふじさんとカレーめん

ふじさんとカレーめん

 

今年の初め、みなさんゆるキャンって言ってましたよね。

イロハを知らないオタクが冬のキャンプを試みて凍死するんじゃないか、とか言われてましたよね。

ゆるキャンのオタクのみなさん、生きていますか?

私は、その波に乗り遅れたので、このアニメを観ておきたいです。同僚と登山することもあるので。このあいだ、クソなめた格好で登山して、死ぬかと思いました。これを機に勉強しようと思います。

ところでゆるキャン△ってなんですか? 本田△みたいなもんですか? というか、これ、もう通じないやつですか?

 

 

 

こうしてアニメを3作リストアップして、日常系、観ないんだなあ、と気づいた。

そして、Amazon Primeにアニメが意外と少ないように思えてきた。関連作品がどの作品を見てもたいてい同じだし。

やっぱりNETFLIXの奴隷になるしかないんだろうか。

 

そして、日常系って、日々に疲れているときに息抜きで観るのが至高なんであって、年末年始にガッツリ観るには向いてないよな、なんて。

「シャロちゃ~ん」「はゎゎ~~~♡」「ふみゅ~~~ん>△<」

頭おかしなるわ。

 

結局、何もせず、時々、昔見たアニメを見直したりしていそうだ。

このあいだの三連休に『Steins;Gate』を完走したように。

宇宙よりも遠い場所』(よりもい)とか、『SHIROBAKO』とか観ていそう。なんなら、「よりもい」ならさっき1話見直したし、なんなら既に軽く泣いた。もはやパブロフの犬

 

ちなみに過去記事との関連で言うと、

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』が2シーズンとも配信対象になっている。

一色いろはを愛でるには「続」を観るといろいろ捗る。

 

一部有料化の騒動もあったが、『SSSS.GRIDMAN』もPrime特典で観られる。

宝多六花さんをすこれ。

覚・醒

覚・醒

 

 

ダーリン・イン・ザ・フランキス 』も配信対象だ。

イチゴのポンコツぶりや、ヒロとゼロツーの、聞いているこちらが恥ずかしくなるような愛のぶつけ合いを堪能できる。

上村くんの良質なポエムを聴けるのは……いや、上村くん、いつもポエム読んでたわ。

独りとヒトリ

独りとヒトリ

 

 

まあ、そんな感じ。

現場からは以上です。

時期的に今年最後の更新になりそうだけど、こんなゆるっと終わってよいのかしら……

 

 

気づいたらAmazon Prime会員になっていたので、せっかくだからPrimeで見れる邦画を書く

Amazon Prime会員になると、様々な恩恵を受けられることは風のうわさで聞いていた。

なんでも、送料とか時間指定便が無料になるとか。

そして、Prime Videoが使えるようになるとか。

 

私には元々、Amazonで買い物をする習慣がなかった。

買いたいものもなかったし*1、宅配便が来るのもなんだか苦手で*2、利用する動機が薄かった。

しかし、通勤用のリュックサックを安価に購入して以降、徐々に使う機会が増えた。そしてあるとき、たぶんタップ間違いをして、気づいたらPrime会員になってしまった。

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間違えたなら、無料体験期間中に解約すればいい。それでも、どうせ年額3,900円だし、と思ってそのままにしていた。

そのうち、お急ぎ便や時間指定便が便利だなと思うに至り、以前よりむしろAmazonを使うようになった。

ただしそんな始まり方だからか、存分にその恩恵は受けつつも、なんだか自分がPrime会員であるという意識は薄く、Prime Videoなど他の特典を使っては来なかった。

 

転機は先日の、M-1グランプリの記事を書いたことだった。

ツイッターのフォロワーさんが、Prime VideoでM-1の映像を見ている、とつぶやいていた。

それを受けて、記事を書くにあたって、過去の映像も少し参照しようかと思い、いよいよPrime Videoのアプリをダンロードしたのだった。

 

NETFLIXAmazon Prime Video。

始めると湯水のように時間を使い、無限に余暇の時間が溶けていくと思っていた。

実際、始めたばかりの頃は、いろいろ見れるじゃないか! と、眺めていた。

しかし、それがかえって仇となった。

コンテンツが多すぎて、どうすればいいか途方に暮れてしまうのだ。

 

見たことがない作品を見ようにも、そもそも現在放映中の録画すら消化しきれない日々である。

これ以上増やすのか、と思うとどうにも気後れがして、再生ボタンを押せない。

するともう、いつ見るのをやめても問題ないしな、と言い訳できる、既に見たことがあるものしか再生できなくて、なんだか虚しい。

 

同じ作品をレンタルし続けてTSUTAYAやGEOに金を吸われるのも阿呆らしいし、むしろこれこそが正しい使い方のような気もする。しかし、新しく使い始めたはずなのに、新しい出会いを避けてしまっている、という矛盾した感覚もある。

最近は、内容をほとんど忘れてしまっている『STEINS;GATE』をテキトーに見ている。

ああ、俺だ。機関から送り込まれたエージェントの色仕掛けを受けているッ! ……ああ、分かっている……作戦実行に抜かりはない……エル・プサイ・コングルゥ……

始まりと終わりのプロローグ
 

 

あとはちょっと憂うつな感じがわりと続いていて、録りためた番組も再生できていない。これも、もしかしたら再生ボタン押せない問題に関連しているのかもしれない。

この話を知人にしたら、「それは鬱だよ」って即答された。まじかよ。

まあこれは「退職エントリー書きたい日記」の領分だ。今触れても仕方ない。

 

さて、私は洋画の知識が少ないわけだが、私でも知っているような、古典と呼ばれるような著名な作品は、版権の問題だろうか。あまり配信対象になっていない。

まあ、これは邦画も同様なのだが。

洋画も邦画も、タイトルは聞いたことがある、という近年の作品ばかりになっている。

 

そのほかの作品をみようにも、私の知識に基づき検索した結果からレコメンドされるばかりなので、なんとなく知っている作品か、最近追加されたばかりの作品ばかりが目につく。

実際、最近追加されたらしい『ミックス』のポスターの、新垣結衣瑛太の主張が少々うるさい。

ミックス。

ミックス。

 

 

もう年の瀬も近い。ぼんやりしていると、そのあいだに年が明けそうな具合である。

年末年始をどう過ごすことになるのかは人によるだろう。そりゃそうだ。

サービス業が増えている昨今、多くの方は冬休みですね! なんて言うと刺されそうで怖いけれど、まあ多くの方が冬休みを迎えると想定して話を進める。

 

NETFLIXの広告が話題になっていたが、これはまさしく真理である。

であるからして、こういう時期には「暇つぶしにおすすめ!」なんてものを紹介したり、されたりしておくと意外とはかどる*3

 

上述の内容からして不安感たっぷりかもしれないが、このままでは「暇なようで暇なじゃないようで、う~ん、どうにも憂鬱で、しんどいにゃ~」と書いただけの冗漫な記事となってしまうので、私の「おすすめ」を書いて締めたいと思う。

まあ、以前のこの記事と似たようなものだ。

 

ちなみに今回の対象は、2018/12/22時点で、Amazon Prime上で無料(基本料のみ)で見られる実写邦画とする。

書籍やアニメは他でもやるかもしれないが、今回はこれに絞る。洋画を含めないのは、上述の内容ゆえである。

こうしておけば、なんだか12月の記事っぽくなっていい感じオチがつく。

 

■葛城事件(2016)

葛城事件

葛城事件

 

 劇作家・演出家でもある赤堀雅秋が、自身の主宰する劇団で上演した作品を映画化したもの。

家族に対して高圧的に振る舞う男と、逆らえない妻。その子供の二人兄弟。家族は元よりバラバラで、その後の展開も胸がすくようなものじゃない。ひたすらに不快。特につらいのは、誰も悪くないというか、悪いんだけど、じゃあどこが悪かったという契機がなく、ただ「悪い」が積み重なっていて、どうしようもない、みたいな。だからカタルシスなんて無い。

けれど、笑えるのである。ブラックコメディ、トラジコメディなのである。「あまりにも」なシーンだとか、本人はたぶん必死だし悪気もないんだけどだからこそ異常みたいなシーンとか。まあ、見たらたぶん分かる。

 

舟を編む(2013)

舟を編む

舟を編む

 

『葛城事件』とは打って変わって分かりやすく楽しめるエンタメである。三浦しをんの同名の小説が原作なのだが、そのエッセンスを無理なくまとめ上げており、ストーリーにもメリハリがあって良い。

何より、松田龍平の、コミュニケーションができなさそう見せながら不快感を覚えさせないバランス感覚は見事だし、周りを巻き込み辞書作りという仕事を前進させていく姿もよくハマっている。だから私たちも、辞書作りに感情移入でき、映画を楽しめる。大仕事である。

あと、この映画を見ると宮崎あおいと同棲したくなる*4

 

バクマン。(2015)

バクマン。

バクマン。

 

わりと有名なジャンプ漫画の実写化。実写化作品への批判は多いが、これは比較的うまくいったんじゃないかと思う。

大根仁の魅力は、頭を空っぽにして見れることだ。そのぶんわ描写は全体的に、イメージ的で切っちゃになる。特にそれが露骨なのは女性の描き方なのだが、本作は原作にいた小豆以外の女性キャラを描かないという描き方をしている。これに賛否はあるだろうが、尺の都合もあるし、変に墓穴を掘らないし、大胆なる得策だったんじゃないかと個人的には考えている。

また、脇役のキャスティングも妙である。山田孝之の存在感は素晴らしいし、リリーフランキーはやはり上手い。サイコーの叔父がクドカンなのなんて、程よい胡散臭さで、ベリーグッドである。

 

 

記事も長くなってきたので、このくらいで。

この冬は『人のセックスを笑うな』あたりを見たいが、また有言不実行なんだろうな。あーあ。 

 

 

*1:書籍は実店舗で買いたかったし、それを除いてしまえば他にあまり欲しいものもなかった。

*2:インターホンの音、クソでけえし。

*3:その時間を使ってスキルアップ! なんて話もあるのだろうが、疲れるし、何かを集中してできる環境じゃないからこそ、「やることない」にゃ~ってなるのである。悲しい。

*4:いや、見なくても宮崎あおいとは同棲したいわ。阿呆か。

社畜クズ野郎は積読消化の夢を見ない

青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を第一作とする「青春ブタ野郎」シリーズのアニメが放送中だが、これがなかなかに面白い。

この作品について、いろいろと「よくできている」ポイントを列挙するのは簡単なのだが、個人的にとても気になるのは、作品の舞台が藤沢近辺であることだ。

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私は昔、あの近辺に住んでいたことがある。

正直、観光地化した都市である秋葉原がいくらアニメに映ろうと特に何とも思わないのだが、藤沢では少し驚いてしまう。

青春ブタ野郎」シリーズの著者である鴨志田一が脚本を担当したアニメ『Just Because!』でも舞台は藤沢~大船といった湘南地方が使われていた。

これで驚かされるのが、あくまで彼らの生活の場として描かれる以上、湘南といっても江ノ島とかではなく普通に市街地や藤沢駅なのである。つまり先述の秋葉原とはわけが違う。

地方出身の私は、馴染みのある場所が映るたびに、ソワソワする。

 

藤沢駅前OPAのTULLY'S COFFEEや駅前のVELOCE等。

いろいろと「懐かしいなあ」などと感じてしまう場所は多いのだが、もっともソワソワするのは藤沢駅北口ビックカメラの7,8階に入っているジュンク堂藤沢店である。

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読書は私の数少ない趣味の一つだ。

だから、ジュンク堂には電車に乗って足繁く通った。あの店のことはよく憶えている。

赤本コーナーの近くには漫画の棚が数列並び、ラノベ棚もあることとか、その反対側に文芸書や文庫本コーナーがあることとか、そういうことを今でも思い出し、諳んじることができる。我ながらキモい。

 

当時から、本を読むペースに対して買うペースが勝りがちな悪癖はあった。

1冊読み終えて2冊買う、みたいな。我ながら阿呆なことをしているなあ、とか思っていた。

それから数年経った今の私の悪癖は、当時よりずっと進行している。

 

いや、おそらく10月、11月と仕事が忙しかったのが悪い。

ならばこそ、こんなエントリーを書くことになったのだし。まあ、反省なんざこれっぽちもしていないが。

「退職エントリーを書きたい日記」の「その2」の投稿はもう少し先になりそうだが、まあそれは主眼でないのでどうでもいい。

問題は、私にはどうも、忙しくなると浪費が増える傾向があるらしい、ということだ。

 

仕事が忙しいと残業が増える。そうでなくとも忙しい、または忙しい気分だと、なんだか人と会ったりとかそういうことが後回しになってしまう。

すると、忙しい原因となっている出来事で人と会っているのに、なんか誰とも会っていなくて社会から疎外されているような気分がしてきてしまう。

そして、浪費をする=金銭を払う=市場に接することで「社会とつながっている」感じをインスタントに得ようとしてしまう――と、まあ、多分こんなセオリーだと思われる。

 

とは言い条、先述の通り、私の趣味は多くなく、よって浪費の対象も絞られる。

服も買わない――実際には買わないといけないのだが、まあそれは別の機会で追々書こう――し、酒も飲まない、タバコも吸わない。「ないない」尽くしのゆとり世代の文化系クソオタクは、けっきょく書籍に行き着いてしまった*1

そして買っても読む余裕がないから、ずっと積読ばかりが溜まっていく。どうせなら金が貯まればいいのに*2

 

散々、忙しいと書いてきたが、最近はむしろ仕事がなくて困っている。

それでも閑散期なわけではなく、仕事はあるはずなのに手を出せるものがないので、心ばかりが忙しくてたまらない。

まあ、それでも、時間的には余裕が少しだけ出てきた。

昨日は津村記久子『この世にたやすい仕事はない』(新潮文庫)を読み終えた。面白かった。

だから今日は3冊新しい本を買った。いや、おかしいだろ。馬鹿かよ。

これでは、転職に向けてスキルを培うぜ! なんてのも夢のまた夢である。

この世にたやすい仕事はない (新潮文庫)

この世にたやすい仕事はない (新潮文庫)

 

 

いっそ昔みたいに、藤沢近辺まで出かけてみるのはどうだろうか。

可も不可もないインドカレー屋で尋常でない量のナンを「おかわり」として問答無用で追加される、または家系ラーメンの店でまぜそばと炙りチャーシュー丼で腹を満たし、腹ごなしにコーヒーを飲みながら本を読むのだ。

しかし、それをするにもちょっと距離がありすぎる。

 

上述のOPA2階のTULLY'S COFFEEで内定辞退の書面を書いたのも、「青春ブタ野郎」シリーズの登場人物みたいに自分が高校生だったのも、それぞれずいぶん過去のように思える。

だのに、同じことを繰り返すどころか悪化させていて、なんなんだろう、と思う。

ブタ野郎だね! なんて声も、テレビの画面からしか聞こえない。

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どうしたもんかねえ、と独り言ちたくなるけれど、

寝る前、布団に潜ってからの読書は存外に捗って、それはそれで困る。

アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』の冒頭に引かれた、モリス・ブランショの言葉を思い出す。

夜、熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。

彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。

彼の言葉の主意には反するかもしれないが、私はきっと夜を現存させていれば、明日の朝が来ることを遅延させられると、どこかで願っているのだ。

この年齢の人間が持つにはあまりにもロマンチシズムがすぎる夢想である。

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

 

 

遠い過去や遠い国。

そんなものに思いを馳せながら、今日もまた布団に潜ってちょっとだけ本を読むのだろう。

今日は何を読もうか。考えているときが一番楽しい。

 

兎角、そんなわけで、積読が溜まる一方だ、というだけの、実にくだらないお話。

このペースでは、一向に、終わらない。

社畜クズ野郎は積読消化の夢を見ない。

 

 

 

*1:そういえば、Amazonサコッシュを名乗る黒色のショルダーバッグを買った。

*2:投資にならない使い方ばかりで使うから浪費なんだよ。だから貯まらねえんだよ。