ヤンキーになりたかった

食う寝る遊ぶエビデイ

ダリフラ、もうこれRADWIMPSの歌詞だろ

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自分でいきなりこういうことを言い出すのもなんだが、私は陰キャ側の人間であり、体育会系か文化系かを問われれば間違いなく後者である。そうすると必然、周りにも文化系の人間が多くなり、時に観ているアニメの話になることもある。そこではさまざまなアニメの名が出る。

しかし、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』(以下、「ダリフラ」と呼称)の名を聞くことはほとんどない。

 

ダリフラ」は、TRIGGER・A-1 Pictures*1共同制作のオリジナルロボットアニメーションである。

高エネルギー効率を持つ「マグマ燃料」の採掘により、地殻変動や環境破壊が進み、また地底から現れる謎の巨大生物叫竜きょりゅうにより生活を脅かされた人類は、巨大要塞都市を建設しその中で暮らしている――物語は、そんな世界を舞台としている。

上述した内容と被る部分もあるが、公式サイトのイントロダクションを引こう。

遠い未来。人類は荒廃した大地に、移動要塞都市"プランテーション"を建設し文明を謳歌していた。

その中に作られたパイロット居住施設"ミストルティン"、通称"トリカゴ"。コドモたちは、そこで暮らしている。外の世界を知らず、自由な空を知らず。教えられた使命は、ただ、戦うことだけだった。

 

フックは大きかった。TRIGGERが満を持して送り出すロボットアニメ、匂わせがすぎる意味深な設定の数々エトセトラ。

実際、最序盤はツイッターまとめサイトでも感想を見かけた。しかしまあ、正直言ってちょっと釣り針が大きすぎた。下図はコドモたちが男女二人組で乗り込む巨大ロボット・フランクスの操縦シーンなのだが、まあなんとも露悪的である。

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特にこの操縦法が初めてお披露目となった第二話は、RCサクセションの「雨あがりの夜空に」ばりにダブルミーニング全開で、セックスのワンシーンを思わせる言葉がこれでもかと散りばめられていた*2。これによりお色気枠やエロバカアニメ枠と早合点されてしまった感は否めない。

また過去のロボットアニメやガイナックスアニメ*3の意図的な反復は、当然過去作との比較を呼び、そして結果的には表面的な模倣に過ぎないとして落胆を生んでしまった。

そして本来の釣り針であったはずの不穏な設定は、 それが物語内で伏線として現れたり回収される頃には、もうあまり話題にされなくなってしまっていた。

 

そんな「ダリフラ」だが、最新話では実はこんなことになっている。

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主人公であるヒロ(上村祐翔)とメインヒロインであるゼロツー(戸松遥)の機体であるストレリチアは火星付近まで飛翔し、叫竜ではなくむしろ彼らと共に宇宙からの侵略者VIRMと戦闘しており、その過程で上図のような姿になった。わけがわからないよ……。

どうしてこうなった……感は正直否めない。しかし一つ言えることがある。これが愛の力の為せる業だということだ。そしてそれ故に、「ダイミダラー」だの「エヴァ」だの過と言われていた本作は人気ロックバンド・RADWIMPSの初期曲の歌詞みたいになってしまった。

どういうことか。それを述べる前に、まずは「ダリフラ」内の勝利のロジックについて記述を通じて「愛の力」について書こう。

 

多くの作品には、目標達成ためのロジックが内部的に用意されている。あるいは「勝利条件」と言い換えてもよいかもしれない。

作劇では基本的に、直接それが大事と語らずともこのロジックを以て、作品が伝えたい価値観やテーマを表現する。

例えば上に引いた記事で紹介した映画『ちはやふる 上の句』においては、瑞沢高校かるた部が北央高校に勝利したのは、瑞沢が「本当のチーム」になったからだった。

ダリフラ」において勝利の鍵は「愛の力」だった。 

描かれるのが人類が到底太刀打ちできそうにない相手との戦闘である以上、なかなか一筋縄では行かずピンチに陥ることもある。しかしそのたびに、メインで描かれる13部隊のコドモたちは愛の力で以て危機を脱した。

当然ヒロとゼロツーにも危機は訪れた。二人の仲は幾度も引き裂かれそうになったが、最後は和解して愛を囁き合った。そう。二人は幾度も愛の力を発揮したのだ。これは他のコドモたちには見られない特徴である。そしてそれ故に、ストレリチアはあんなことになってしまったのだ。

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作品的には危機を次第に大きくして盛り上げる必要があるので、危機に陥るたびそれは次第に解決が難しいものになっていく。その度に、解決のために発揮される愛の力は大きくなる。ゴムの先にボールを付けて投げると、強く投げた方が遠くに飛び、そして勢いよく戻ってくるように。この愛の力のインフレが、その発揮に伴って生じるストレリチアのパワーアップをこれほどまでのものにしたのだ。

 

ここでようやくRADWIMPSの話に入れる。

RADWIMPSの魅力はなんだろうか。リズム隊、技巧的な楽曲など。売れているバンドだけにいろいろ実際にはあるのだろうが、その中でも私が注目したいのは歌詞である。

しかし歌詞が魅力と述べた際に付きまとう「共感できる」というフレーズに反し、フロントマン野田洋次郎の書く詞は安易な共感を拒絶するが如く尖りまくっている。

上に引いた記事で上田啓太氏が述べているように、野田の歌詞は「恋愛でベロベロに酔っぱらった状態で書かれている」。これは特に、自身のバンド名をアルバム名に冠していた4thアルバムまでの「初期」において顕著である。

野田の恋愛詞において、恋愛対象(主に女性)は過度に感情移入され崇拝されるかもしくは人類の敵であるかのように語られる。

だって君は世界初の 肉眼で確認できる愛 地上で唯一で会える神様

誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろ? だから君に会えないと僕は 隅っこを探して泣く 泣く

RADWIMPS- 有心論

途中から恋人を勝手に「神様」にしたのに、その直後からそれは当たり前のこととして「地球を丸くした」と語られる。この暴走っぷりは、しかし恋の病の状態を詞に落とし込んだらこうなるという形そのものだし、だから若者の人気を掴んだのだろう。

 

ダリフラ」において幾度も愛の力を発揮したヒロとゼロツーは、どんどんその親密さを深めていったが、そのことに起因するストレリチアのパワーアップは正直言って常軌を逸している。

最初から極端に強いことは除いても、他のフランクスが二足歩行をしている――最新話では特に説明もないまま宇宙空間で戦闘できるようになっていたが、あくまで常識的なサイズの人型を保っている――のに対して、ストレリチアは最新話に置いて上に貼った図のように超巨大になり――他のフランクスは目ほどの大きさしかない――ケンタウロスのようなフォルムになりかつ思いっきりゼロツーの顔になっている。

このフォルムは、明らかにほかのフランクスたちと異なっており、そのパワーにも歴然とした差がある。これを「常軌を逸している」と言わずして何と言おう。

 

愛の力が危機を乗り越える力を与える=パワーアップをもたらすならば、これだけのパワーアップを齎したヒロとゼロツーの愛もまた常軌を逸しているということになる。

ここで第15話において、ストレリチアの新フォームが登場した回の会話の一部を載せよう。

「ゼロツー!」

「ダーリン!」

「ゼロツー!」

「ダーリン……ダーリン、ダーリン! ダーリン!!」

「ダーリン……ボクは君と出会えてよかった! 大好きだ!」

「ゼロツー! 僕もだよ! 君が大好きだ!!」

「ゼロツー! あのドームだ。行ける?」

「もちろん! ダーリンとなら!」

ダーリン・イン・ザ・フランキス』第15話「比翼の鳥」より

ゼロツー、ダーリンうるせえよ。お前は「しるし」の桜井和寿か。

そして「あのドーム」まで「行ける」=届くか、と問われた際に「もちろん」と答え、その根拠に「ダーリンと」一緒であることを挙げる恋を根拠とした万能感は、気持ちが燃え上がるあまり周囲が見えなくなってしまったカップルのそれである。

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新フォームのパワーは雲を晴らし青空が顔を出す。青はセカイ系の色ですね。

上述のセリフだけではベタ甘なだけで、凡庸なラブソングと変わらないじゃないか、と思われるかもしれない。

しかし作中においてコドモたちは性愛の知識を禁忌とされ、「好き」という言葉も感情もゼロツーとの接触なしには知り得なかったのだから、あのベタ甘は私たちが通常感じる以上にベタベタの甘々なのだ。そして、ほかのコドモたちは、男女二人がメインで扱われる回であっても「好き」という言葉を交わすことはほとんどない。

これに対して、16話以降のヒロとゼロツーはスキあらばイチャついているし、何よりストレリチアのパワーアップ回においては、たびたびイメージの世界で交流し、お互いに「好きだ」と再告白し合い、濃厚なキスをしている。そもそも、火星付近になんか魂があるらしい恋人と「迎えに行く」と約束したから、と宇宙に行くことを即決できている時点でぶっ飛んでいる。

六星占術だろうと 大殺界だろうと 俺が木星人で君が火星人だろうと 君が言い張っても

俺は地球人だよ いや、でも仮に木星人でも たかが隣の星だろ?

一生の一度のワープをここで使うよ

(RAWIMPS- ふたりごと

 

私は二人の恋愛/愛の力の熱量を前にして、物語が進むたびに「いや、お前もはやこれRADWIMPSの歌詞やろ」と言いながらたじろぐほかない。

イメージの世界で睦言を変わり始めた瞬間、頭のなかでは「スパークル」が大音量で流れ始める。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を 伸ばそうと届かない場所で 僕ら恋をする

時計の針も二人を 横目に見ながら進む こんな世界を二人で一生、いや何章でも 生き抜いていこう

RADWIMPS- スパークル

 「二人で……絵本の最後を書き換えよう」

「ダーリン……」

「誓うよ……永遠に離さない」

ダーリン・イン・ザ・フランキス』第23話「ダーリン・イン・ザ・フランキス」より

 

ぶっちゃけ作劇上の瑕疵とか言いたいことはいろいろあるが、ここまでくると、二人が幸せならそれでいいや、みたいな気分になって来る。

振り切れた恋愛物語の強みは、案外そんなところにあるのかもしれない。

二人の来るべき幸せなシーンの上には、これまでがそうであったように曇りなき青空が広がっているに違いない。

恋してるんだ。恋空……*4

 

*1:A-1 Pictures高円寺スタジオが2018年3月からClover Worksと改名しブランド化されたことに伴いクレジットも変更。

*2:乱暴にしないで」「中に入っていく」「下手くそ」など。

*3:TRIGGERにはガイナックスから独立したアニメーターの多くが在籍している。

*4:これが言いたかっただけ。ちなみに『恋空』の主人公は美嘉でその彼氏がヒロ。「ダリフラ」のOP主題歌を担当するのは中島美嘉である。まさか、ね。

ジョンソン&ジャクソン「ニューレッスン」感想

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6/27水曜日、仕事帰りに渋谷に行った。

ジョンソン&ジャクソン「ニューレッスン」を観るためである。

 

ジョンソン&ジャクソンは、ナイロン100℃の俳優・大倉孝二と劇作家・演出家のブルー&スカイによる演劇ユニットだ。

このうちブルー&スカイは、元々猫ニャー(のちに改名し、演劇弁当猫ニャー)の旗揚げメンバーで、全作品の作・演出をしていたのだが、猫ニャーの特徴はナンセンスコメディ、このレビューによると、ブルー&スカイ*1は「小劇場で"ナンセンス"と言えばこの人」という存在だったようだ*2

その彼と、これまたナンセンスや不条理を出自とするナイロン100℃の大倉がわざわざユニットを組むのだから、必然ジョンソン&ジャクソンもナンセンス志向になる。

ナンセンスと口で言うのは簡単だ。あの芝居はナンセンスだよ、と評すのも簡単だ。しかしその魅力はその場で体験してみないことには伝わらないし分からない。果たしてどんなものなのか、そう思って足を運んでみた。

これはその感想文だ。上記の内容を踏まえるならば、ナンセンス劇の感想文はほとんど意味をなさないということになるが、都合の悪いことは忘れていくのが社会でうまく渡っていくコツであるらしいのでその練習がてら書き進めることにする。

 

 

まずは「ニューレッスン」のあらすじを書こう。

柳田(大倉)は、社長の息子(ブルー&スカイ)の紹介でとある仕事に就き、彼はそこで最ベテランである白川妻(池谷のぶえ)の指導を受けながら仕事を覚えていく。薄給で彼も貧乏だが、それでも彼は大いなる野望のためにそれをなさねばならなかった。

物語にはこのほかに、雑誌「まなりき」の創刊を目指す白川夫(いとうせいこう)、白川妻の兄(池谷のぶえ、2役)、白川夫の新しい妻(小園茉奈)が絡んでくる。

 

柳田の野望は「金も大事だが、愛も大事である」という言葉が世に浸透し、世の中の人が愛に目覚めるような効果を持つ「愛の館」を建築することである。そのために、彼は館の構想を練らねばならず、またお金を稼ぐ必要があった。

そんな彼の夢は、世のあらゆる愛をまとめた雑誌「愛の力」創刊を目指す白川夫に一笑に付される。柳田は白川夫を最初は軽蔑するが、柳田が白川妻の大腸から取り出した15年前の雑誌に白川夫が柳田と同様のテーゼを幾度も繰り返す論文を掲載していたことを知り、感銘を受け、是非とも弟子入りしたいと思う。

だが、実は白川夫は借金で首が回らなくなっており、「金も大事だが愛も大事」の先を行く「金も大切だが愛も大切」を説く愛のレッスンをしてやりたいが、先立つもの=金がなくては……という状況。しかし柳田にも金はない。そこで柳田は、世の人の大腸から金品を盗み取る大腸専門の掏摸をすることでレッスン代を稼ごうとする。

 

このあたりで一旦やめよう。

上述のあらすじは、その芝居を見ていない人には一切意味がわからないと思うので、主に大腸のくだりを説明していこうと思う。

そのためにまずは、物語最序盤の話をする。

 

客入れ音楽が大きくなり暗転する。開演である。明転したとき、舞台上には書割の熊がある。また白川妻が板付きでおり、熊の肛門と思しき位置に手を突っ込んでは、ぐちゅぐちゅというSEと共に「何か」を取り出し、バケツに投げ込んでいる。

そして話は、上述した、柳田が新しい仕事に就き白川妻の指導を受けるシーンに続いていく。

白川妻がしており、また柳田が従事することになる仕事とは「書割の熊の大腸を掃除する仕事」*3である。

 

この情報をもとに、再度物語を見てみよう。

柳田は、書割の熊の大腸を掃除する仕事で身につけたスキルで、書割の熊に挟まれた白川妻の大腸から15年前の「愛の力」を取り出した。白川妻は非業の死を遂げるが、仕事およびその白川妻の際の経験をもとに、大腸専門の掏摸となる。通行人の大腸から金品を盗み取ることで、15年前の「愛の力」誌上に愛の論文を執筆した白川夫のレッスン代を何とか捻出せんとしたのである。そして、柳田は一度掏摸の現場を押さえられるなどしたが、最終的に何とかレッスン代を手に入れる。

 

物語には2つのレッスンが登場する。白川妻による大腸の掃除のレッスンと白川夫による「金も大切だが愛も大切」のレッスンである。そして、物語のより後半で出て来る後者を受けるため、前者で得たスキルを用いるという構造をとっている。だからニューレッスン*4

この構造だけを見るならば、かなりしっかりした作品にも見えて来る。実際、私も観劇直後はそう思った。しかし数秒後、芝居の内容を振り返ろうとした途端に、頭がぐらぐらするような感覚に襲われることとなった。

何しろ、肝心なことは何一つとして説明されていないのである。説明されることなく事態は進行していき、そして皆が静かに狂っていた。

 

作品中のキーワードは、以下が挙げられるだろう。

書割の熊、愛の館、「金も大事だが愛も大事である」(「金も大切だが愛も大切」)

 

書割の熊だが、これは脚注3のとおり、あくまで「書割」として扱われる。

だから非生物である書割の熊の大腸を掃除して何が出て来るのかが分からないのだが、これについては一切言及がない*5し、それどころかそもそも誰も気にしていない。途中、池谷のぶえが、大腸から取り出しバケツの中に溜めた「何か」をパン生地のようにこねるシーンがあるが、何のためにこねているのかは微塵も分からない。

ちなみにこいつは、何年も前に白川妻兄が作成したものだが、その当時から社長の息子のパパ=社長(ブルー&スカイ、2役)の言う新事業に関わっているらしい。しかし、書割の熊が事業とどう関係するのかは一切語られない。なおこれは、最ベテランである白川妻も知らないそうで、物語開始当初は少し気にしているのだが、社長の息子が説明しようとすると柳田と白川妻から明確に拒否され、結局最後まで語られることはない。

 

愛の館の構想は、最後まで語られることはない。

語られるシーンは、そこだけピンク色の照明が入り、柳田が、愛の館が存在しないという謝罪⇒存在するんです! を繰り返して言うだけでそれ以上の情報は出てこない。

しかし、彼の中で着実に構想はできつつあるらしい。

だが、これよりも謎なのが「金<愛」である。

 

この説を唱えるのは柳田と白川夫だが、2人とも金がなくて困ることになる。

つまり彼らにとっては、金が何より大事な状態が訪れ、そして実際にそれを何とかすべく金策に走るのである。

柳田は大腸専門の掏摸をすることで、白川夫は老人の寝汗と水あめを掛け合わせることで。

また「金も大事だが愛も大事」から「金も大切だが愛も大切」へと白川夫の哲学は変遷するのだが、この差異がイマイチわからない。これに対し柳田は、「なんかこう、一段と深みが、増したような気が、する」と言っている。

しかし愛を語るには、柳田には社長の息子意外に親しい人がいない(社長の息子には、一緒に妖精が何色かを考える恋人がいる)し、白川夫は妻の死後4,5日で新しい妻に田舎のヤンキーみたいなプロポーズをしている。

つまり彼らにそれを説く資格は物語上存在しておらず、また肝心のテーゼについても、わざとらしく面を切ってセリフを言っていたり、論文中で策もなく7回も連続で繰り返していたりと、かなり茶化されて使用されている。だが、彼らはどうやらそれを堅く信じてしまっているらしいのである。

 

私は、何もこれらの点を批判したいわけではない。

むしろこの説明を一切せず(むしろ作中で明確に拒否し)、またそれ故に登場人物がそれをある意味では受け入れてしまっている、ツッコミを入れる段階が、客席にいる私たちより少し上であるという点、つありどこか静かに狂っている点にこそがナンセンスの矜持なのだろうと感じ、驚き、またそれを堪能したのだった。

この驚きは、実際にどのような会話がなされるのかを目にいしていただくのが、一番お分かりいただけると思う。

それでも読者の皆様のために何とか言葉にするとすれば、なんだかよく分からないが気づけばじわじわと笑いがこみ上げ常駐していたといった感覚である。スピード感があるわけじゃないし、明解な論理があるわけじゃない。しかし、なんだか気づけば笑いだしていて止まらないのである。それは楽しかったし、また少し恐ろしい体験でもあった。

 

私は今回、ナンセンスとはどんなものか、と思って観劇したが、一見まとまったようなストーリーの裏に静かに横たわる狂気に当てられてしまった。

大いに笑った。涙が出そうになった。

「書割の熊」は何度思い返しても卑怯だし、加えてほかの、初めて見るような可笑しさやなじみ深い可笑しさも楽しませてもらった。

 

芝居の感想で難しいのは、基本的に芝居は足が速いことだ。だから感想を書いても、当の公演が既に終わっていて、また映像化や再演の予定がないという場合も多い。

これを書いたところでどうなるというんだ。公演関係者がエゴサーチして観に来る以外に意味はあるのか、などと訝ってしまうのは正直否めない。ナンセンス芝居の感想を~と上述したが、そもそも劇評そのものが詮無いことなのかもしれない。

ね。楽しかった*6けどさ、やっぱり「書割の熊」って言われてもさ、なんのことやらね。

 

■公演データ

ジョンソン&ジャクソン「ニューレッスン」

出演者 大倉孝二 ブルー&スカイ 池谷のぶえ いとうせいこう 小園茉奈

上演時間 約1時間45分

東京 6/21~7/1 @CGBKシブゲキ‼︎

大阪 7/6~7/8 @ABCホール

 

 

 

*1:レビュー中では改名前なので「ブルースカイ」と表記。改名は2012年。

*2:日本現代演劇においてナンセンス(不条理)を行ったのは別役実であった。また別役の手法は80年代以降、ケラリーノ・サンドロヴィッチKERA)による劇団健康(のちにナイロン100℃)にナンセンスコメディとして引き継がれている。このためナンセンスはブルー&スカイの専売特許ではないことを念のため付記しておく。

*3:「書割」の部分は、社長の息子の口から明言される。

*4:たぶんそんな意図はないか、後付け。

*5:台詞によると、こけしが出てきたのは異常事態らしい。

*6:面白かったというより、やはり楽しかったというのが一番しっくりくる感想である気がしている。

やがて国になる: 『名探偵コナン ゼロの執行人』感想

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最近、ツイッターのタイムラインで安室透の名を見ない日はない。みんなが安室の話をしている。

どうも安室の話をしているのは、映画を観て安室の女つまり国になってしまったかららしい。この文章、しかし何を言っているか分からない。「安室の女」はまだいい。「国」ってなんだ?  かの跡部景吾も王国を建てるしファンは国民だが、いまだかつてファンを国にした人はいないはずだ*1

 

ここまで話題にされると、コナン映画を映画館で観たことがない私でも、安室透を一度も観たことがない私でも、気になってしまう。

というわけで、去るこどもの日、たくさんの子どもたちとお姉様方に囲まれながら『名探偵コナン ゼロの執行人』を観てきた。

今回の記事はその感想文である。例のごとくネタバレを含む。

 

でさ、どうなんよ、と。

「国になる」の意味が分からなくて思わず劇場に足を運んだのだろう? と。

でさ、けっきょく国になれんの? 安室の女になれんの? と。 

結論から言えば『ゼロの執行人』は「国になる」以外の選択肢がない映画だった。

 

「安室の女になる、と言っても安室透が大活躍していることをパワーワードチックに言っているのだろう」ぐらいに考えていたが、それどころではなかった。作品に対して肯定的な評価を下そうと思えば、安室の女になるしかない。それくらいに作品全体が安室透にステータス全振りだった。100%濃縮還元安室。

だから、安室透メイン映画として観るならばあまりにも100点満点だ。

だがその反面、作品全体としてはけっこう粗い。

つべこべ言っていても仕方ないので、具体的に中身を見ていこう。

 

5/1に迫ったサミット。今回のサミットは東京湾に新しく建設された複合型施設エッジ・オブ・オーシャン(以下、EOOとする)で開催される。また同日には観測衛星「はくちょう」が宇宙から帰還する予定になっている。一方そのころ阿笠博士は高性能ドローンを完成させていた!

(これが開始5分程度でざっくり説明される。正直言って情報過多だが、覚えていなくてもあんまり支障はないので軽く流してもらってかまわない。)

事件は、このEOO内で警察関係者に死傷者を出す爆発が起こったことに端を発する。

当初は事故として処理されかけた爆発は、サミット会場を狙ったテロ事件として捜査されることとなる。しかし開催前のサミット会場でテロ? どうもおかしい。すると今度は、東京中で家電が暴発する事故が起こる。サミットの爆発は序章に過ぎなかった。犯人の本当の目的は、このIoTテロだったのだ! 果たして犯人は? その目的は?

 

上記が『ゼロの執行人』のざっくりとしたあらすじである。

まあ、もっと長いやつをお望みならばWikipediaを読むことをおすすめする。

名探偵コナン ゼロの執行人 - Wikipedia

このあらすじだが、いろいろとツッコミどころがある。 

 

IoTは、モノのインターネット(Internet Of Things)を現わす言葉だが、はっきり言ってこれを聞いても意味がよく分からない。工場の故障予測も、トイレの利用状況可視化もIoT。とりあえずいろいろあってぼんやりしている。

smarthacks.jp

だから、IoTテロという言葉は非常にぼんやりしていて、ぶっちゃけ何を言っているのかわからない。とりあえず、家電やべーってことしか分からない。けどコイツがずっと事件の根幹に居座るから、事件全体もぼんやりしてしまってイマイチ緊迫感に欠ける。

しかも最初の爆発もIoT圧力鍋が原因なのだが、この製品がIoTであるメリットはゼロ。むしろ「ゼロの執行人」ってここにかけてんじゃねえのか、ってくらいゼロ。具材入れるとき絶対近くにいるんだからスマホから遠隔操作できる意味ねえだろ、馬鹿かよ*2

あと、とうとう少年探偵団が知性を獲得してしまった感じがして、私は少し寂しかった。阿笠博士が開発したドローンの操作は普通に難しすぎて、なんで1人であれだけ操作する設計にしたのかが意味分からないぐらいなのだが、なのにあっさり使いこなす彼らが凄すぎる。むしろあいつらの中身が高校生でも驚かない。

 

 ――と、まあいろいろとある。挙げようと思えばもっとある。

けど、どうでもいいのだ、そんなことは。

恋はスリル、ショック、サスペンス

恋のために命をかけている男の子たちが観られれば、ぶっちゃけあとはどうでもよい。*3

 

その意味で言えば『ゼロの執行人』の見どころもとい全ては、解決パートで挟み込まれる怒涛の安室カーアクション3連発である。

そして上記の瑕疵かし含めたあらすじの全ては、安室透が気持ちよくカーアクションできるためのお膳立てでしかない。全ての道は安室に続くのだ。安室透にステータス全振りとはそういうことだ。

 

1回目は、観測衛星「はくちょう」が制御不能になり警視庁に直撃することがわかったあと。コナンはいつもの如くスケートボードに乗り犯人のもとへ急ぐのだが、安室も同様の結論に至り同じ人のもとへ急ぐ。

しかし街はIoTテロの影響によるカーナビシステムの暴発により大混乱になっていたのだ!  ドリフトを決めまくる安室が思わずカメラ目線で叫ぶ「IoTテロ!」いや、だからIoTテロってなんだよ。

いろいろ解釈はあるだろうが、ここで言うIoTテロとは街中で安室にカーアクションをさせるために仕掛けられたトラップ全てを指していると思ってもらって構わない。

ちなみにこの直後、安室は、高速道路から落ちてきた車に衝突してクラッシュする。フロントガラスを割り「行け!」と叫ぶがこれまた直後に追いつく安室。つよい。

 

2回目は、警視庁に落ちる「はくちょう」に、公安で回収していた爆発物を少年探偵団が操縦するドローンで運び、10km/sで落下する物体(「はくちょう」)のほぼゼロ距離で爆発させたものの、そのせいで軌道の逸れた「はくちょう」が、EOOのカジノタワーに激突することが判明してから始まる。

警視庁から周囲半径数kmにいた人々は、落下に備えてあろうことかEOOに避難していたのだ!  そして、カジノタワーには蘭がいる!!

……お前、出歩くたびに何か起きてんな……もう外に出るなよトンガリヘッド。

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コナンを助手席に乗せEOOに向かう道路を疾走するRX-7。ちなみにフロントガラスは割れている。

しかしEOOへの避難が起きていると、どうして知って何のために向かっているのか分からない人たちによる渋滞で道路はパニック!

すかさず安室、2車線で並ぶ車の間を通り抜け、そのまま壁に突っ込むかと思いきや壁づたいに片輪走行! かっくいー!  と、安室、今度はモノレールの線路に飛び乗った!

前からはモノレール。「前からモノレールが!」と当たり前すぎることを言うコナンを腕で押さえ、明らかにぶっ飛んだ目をした安室は、正面からモノレールに!

……と思いきや、今度はモノレールの車両をつたって片輪走行!  そのままビルにダイブ!!

 

……いや、なにやってんだよ。普通に引くわ。

コナンも「さすがに死ぬかと思ったぜ」なんて言うわけだが、モノレールの前までに普通は570回くらい死を覚悟するからたぶん君も相当おかしい。

ビルに飛び移った後は車ごと貨物エレベーターに乗り込むのだが、このとき映る車のフロント部分は上記の無茶によりバコバコ。たぶんガチャピンが日常的にDVを受けたらあんな感じの顔になる。

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3回目のカーアクションを前にして、コナンは安室に問う。

「安室さんって彼女いるの?」

その質問、絶対にいまじゃない。

しかし公安のトップ29歳の安室透はそんな質問にもちゃんと答えるわけです。

「僕の恋人は……この国さ」

 

このセリフが示すのは、今までの安室のカーアクションは国を守るための行動であったが、それが同時に恋人のための行動でもあったという事実だ。

つまり、安室もまた恋のために命をかける男の子だったのだ。モノレールに突進する際の滾りきった目はその少年性の発露だったというわけだ。その少年性において、安室は今作の主人公たる資格を得る。

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そして上記のセリフの直後、あのメインテーマ曲がかかる。

うん、タイミング的には最高にそこなんだけど、たぶんそこじゃない。

  

カウントダウンが「ゼロ」になった瞬間加速するRX-7

「速度が足りない!」 からビルのなかをもう一周! なんかカーブで明らかに減速してるけどそこは雰囲気だ! いっけえ! 宙に飛び出るRX-7! 身を乗り出してサッカーボールを蹴るコナン! なんだよ、お前ジャマだよ安室を映せ馬鹿!

サッカーボールの力で微妙に軌道がそれ、カジノタワーには衝突せず海に飛び込む観測衛星。コナンの胴を掴み抱え込む安室! キャー! あむぴ~! 銃で窓ガラスを割って飛び込むあむぴ~! 腹チラ~!!! あむぴ~!!

 

……と、まあそんな映画だ。『ゼロの執行人』は。

IoTテロは街中でいろいろトラップをしかけたり、衛星を落としたりして安室が最大限カーアクションしないと日本がヤバいってことにするためのガジェットでしかないし、ドローンだってカジノタワーを危機に曝すためのものでしかない。

そんな今回の事件。犯人は、EOO爆発の件における小五郎の公判において、検察側として裁判に出ることになっていた日下部誠だった。理由は、協力者になってもらっていた羽場二三一が公安の異例の取り調べ直後に自殺したことによる警察への復讐。

しかし、その公安の取り調べを行ったのは実は安室であり、羽場はそれまでの人生を捨てることを条件に生き延びていたのだった!!  な、なんだってー!

 

……って、つまりすべてキッカケもオチも安室さんですよね……。

 

これが100%濃縮還元安室の意味だ。安室キッカケの復讐心で犯行に手を染めた犯人が作りあげた舞台で安室が活躍する。なんというマッチポンプ。安室の永久機関。安室は熱力学第二法則すら超えるのだ。

あげく、メインテーマが安室きっかけでかかるのだから、これはもう安室の映画と言うほかない。完全に主人公は安室だ。

ぶっちゃけ安室のアイドル映画として観るならばまったく文句のない出来だ。

 

福山雅治の主題歌「零―ゼロ―」でも歌われている「複数ある正義」が今作のテーマだが、そんなことはもはやどうでもいい。というか、もうカーアクションが始まったあたりで、「今回の安室さんは『敵』かもしれない」とかいうコナンの心の声とか記憶の彼方に飛んでる。

もうそこからは、ずっと「キャー! あむぴ~!」のテンションで観るくらいでいい。

すべては「パネェ」「パナクネェ」の2択で考えろ。HiGH&LOWの世界なんだよ、ここは*4

www.youtube.com

 

私たちに許された評価軸は、安室が「パネェ」か「パナクネェ」かという2択のみであり、だからこそこの映画に肯定的な評価を下そうと思えば、安室を「パネェ」と思って安室の女になるほかないのである。この自動ドアみたいに。

先述したのはそういう意味だ。

そして、安室の彼女は「この国」である以上、パネェと思った人はみな国にならなければならないというわけだ。なんておそろしい映画だ……。

 

では、うだうだと書いてきたお前はどうなのか? お前は、国になれたのか?  そういう話になるのは当然だろう。

コナン映画に触れるのが遅かったせいか、生来の捻じれた性格のせいかコナン映画を超大作アクションギャグ映画として観てしまう私は、今回の映画をなかなか楽しんで観てしまった。

特にコストコで公安が会話しているシーン、最高。安室はガチ。

 

いろいろ言いたいことはあるけれど、楽しめる映画なのは間違いない。

榎本梓のおっさん臭いセリフとか風間のポンコツぶりとか細かいところは無限に気になるけれど、大事なことはHiGH&LOWの精神だ。

安室のヴァイヴスを感じてブチアガって生きろ。ド派手にな。

 

 

*1:あと田村ゆかりも。

*2:物理的なボタンが増えすぎるのが理由でスマホを使おうとしたのならば、それはデザインの敗北である。UIとしてクソ。

*3:そしてサスペンスは添え物なのである。

*4:ごめんなさい。『HiGH&LOW』観たことないです。

『リズと青い鳥』感想

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4/22の日曜日、『リズと青い鳥』を見に行った。いつもは何の予告も警告もなしにネタバレばかりの記事を書くのだが、今回は公開から日も浅いこともあるので、あらかじめ注意換気しておこう。

以降の記述には『リズと青い鳥』およびテレビアニメシリーズ『響け!ユーフォニアム』のネタバレを含む。

 

リズと青い鳥』 (以下では、『リズ』と呼称し、作中の登場人物リズとは二重鉤括弧の有無で区別する)だが、素晴らしい映画だった。傑作だったと言ったも良いだろう。

 

続編作品でありながら山田尚子のフィルムであるということ

『リズ』を語る際には、スタッフがテレビシリーズと大きく変わっていることから入るのが良いだろう。『リズ』のスタッフは『映画 聲の形』と同様になっており、むしろ宣伝でもそのことが強調されていた。

スタッフの変更に伴い、キャラクターデザインも大きく変化しているが、ここからはテレビシリーズの池田晶子と『リズ』の西屋太志のセンスの違いだけでなく、『リズ』を、『響け!ユーフォニアム』のテレビシリーズ(以下、『ユーフォ』と呼称)とは異なる山田尚子のフィルムにするという意気込みも読み取れてしまう。

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しかし、当然ながら『リズ』は『ユーフォ』のキャラクターたちを使い、その後の時系列の話を描くため、続編でないはずがなく、『ユーフォ』を観ていなくとも楽しめる作りにしたとしても、続編であるということ又は『ユーフォ』の磁場から完全に離れることはできない。

以上2点から、『リズ』を評価するに当たっては、『ユーフォ』とは手ざわりの異なるフィルムでありながら『ユーフォ』でなければならないという矛盾した要求に応えられているかどうかが大きな焦点となるが、私見だがそれは達成できていた。

では、どのように上述の要求に応えられていたのだろうか。以下ではそれを書いていくことになる。

 

『リズ』の時間軸は『ユーフォ』の翌年の京都府大会前にあたり、3年生の鎧塚みぞれ(種崎敦美)と傘木希美(東山奈央)の2人の関係性が最後のコンクールを前に変わっていく様が、コンクールの自由曲「リズと青い鳥」および曲のモティーフとされる同名の童話に重ねられながら語られる。「リズと青い鳥」の些細な物語の紹介は公式ホームページに譲るとして、まずここでは簡単にあらすじを紹介しよう。

湖畔の家で一人暮らすリズ(本田望結)は、嵐の翌朝、家の外で青い髪の少女(本田望結(2役))が倒れていることに気づき介抱する。恢復した少女はリズと暮らし始める。その少女は果たして青い鳥であり、そのことに気づいてしまったリズは愛ゆえに少女を逃す。

童話の2人の関係は、みぞれと希美のそれに似ていると作中で幾度か言及される。また自由曲「リズと青い鳥」には、リズと青い鳥の2人の別離が描かれる第3楽章においてオーボエとフルートの掛け合いとなるソロパートが存在する*1。先ほどは童話に重ねられながらと書いたが、実際には、物語はこのパートをどう演奏(表現)すればよいのかという問いと共に進行する。

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静かな語り口と起こらない事件

だが、吹奏楽をモティーフとしかつ特定の楽曲をキーアイテムとしていながら、物語全体は静謐さに覆われている。台詞は少なく、画面映えする動きのあるシーン*2もない。人間関係を描写する際に便利なのは、ぶつかり合い互いに本音を言い合うことで理解が深まるというストーリー*3や独白による内面の吐露だが、『リズ』においてそれはほとんど存在しない。

台詞やアクションの代わりに雄弁なのは、言いよどみ発されなかった台詞や細かな動き(作画による演技)である。

 

例えば冒頭のシーン。みぞれは校門から少し入ったところの階段で、希美がやって来るのを待っている。合流した2人は、先を歩く希美を追ってみぞれが着いていくように、ほとんど言葉を交わさないまま廊下を歩き、階段を登り、誰もまだ来ていない音楽室に入る。2人は少し離れた席に座るが、希美が絵本「リズと青い鳥」を取り出し譜面台に置き距離を詰める。

このシーケンスにおいて雄弁なのは、2人の歩く足音と距離感そして距離を詰めるという行為である。2人は仲良さそうに歩くが、しかし妙にずれ、地面や床と擦れるような音を立てる。これは2人の関係性をまず提示する。みぞれは希美の後ろを歩くので、階段を登るときみぞれは希美を見上げる形になる。これもまた2人の関係性を示す。自由曲のモティーフとなった童話の絵本を前に詰められたみぞれと希美との距離。みぞれが希美の肩に寄り掛かろうとするのは、音楽を通じて希美と繋がれるというみぞれの想いの提示であり、しかし童話の物語は、それがこれから変容しうることを示唆している。

フィルムはおおよそこんな調子で進む。つまり、台詞量は少なく、目立ったアクションもなく、ひたすら微かな動きと言いよどみを含みつつ進行していく。

 

また触れなければならないのは、フィルム上から《事件》が極力排除されていることだ。ここで言う《事件》、イベントぐらいの意味合いだ。

例えば劇中では、オーディションやプールといったイベントの存在が台詞で明かされるが、そのシーンそのものは描かれず、ただそれが終わったという結果のみが言及される。特にオーディションは、『ユーフォ』ではその制度の導入初年度だったということもあって部内分裂に至りかける大きな出来事として描かれたし、そこまで行かずともそこには当落という非情さのドラマがあるはずだ。しかし先述の通り、そのシーンはフィルムから排除されている。

 

以上、静謐さと《事件》の排除という2つの特徴は、『ユーフォ』とは明らかに異なっており、その意味において『リズ』を台詞でなく表情や仕草、風景描写から内面を描く手法に秀でていると評価される山田尚子のフィルムたらしめている*4

ここからは、『ユーフォ』がどのようなアニメだったのかを少し振り返る。

 

黄前久美子という探偵と頻発する事件

『ユーフォ』は2期に渡って製作・放映され、1期が黄前久美子黒沢ともよ)ら1年生の入部および滝昇(櫻井孝宏)の吹奏楽部顧問就任から京都府大会まで、2期が京都府大会後から関西大会を挟み全国大会そして3年生の卒業式までの物語となっていた。

1期冒頭は、久美子や高坂麗奈安済知佳)の在籍していた中学校の吹奏楽部の、コンクール結果発表の場面から始まる。吹奏楽部は金賞ながら上位大会に進出できない「ダメ金」という結果に終わる。部員らが金賞に歓喜するなか「悔しい」と涙する麗奈に対し、久美子は「全国、本気でいけると思ってたの?」と失言してしまう。

 

このシーンが象徴するというわけではないが、久美子はしばしば失言する。この失言が周囲の人間からの「証言」を誘発し、彼女のもとには多くの情報が寄せられることになる。

また久美子は、しばしば《事件》に遭遇する立場も担う。例えば、吹奏楽部への復帰を望む希美が初めに話しかけたのは久美子だったし、普段はしていない結婚指輪を着け亡き妻のためイタリアンホワイトの花*5を買う滝と遭遇したのも久美子だった。

 

作中で起こる《事件》の影響は、いつも合奏のクオリティが下がるという形で現れる。みんな集中を欠いた演奏をしてしまう、とかそんな風に。

そしてその《事件》は、本音のぶつけ合い自体やそれを重要な契機として起こる出来事によって解決に至り、北宇治高校吹奏楽部はコンクールで抜群の演奏をし、素晴らしい戦果を得る*6

『ユーフォ』において素晴らしい演奏とは、メンバーが全員で一つの生命体であるかのように統合されることによって可能になるものとして描かれる。作中で幾つか起こる《事件》は、この一体感のカタルシスに向かうための困難として用意されているのだ。

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『リズ』においては、2つのアイテムがフィーチャーされている。足音と希美の腕時計だ。足音については先ほども触れたが、これは足音に付随する歩くという行動および歩幅や移動といったものから「距離」と結びつく。

では、腕時計はどうだろうか。

『リズ』と『ユーフォ』の差異の1つに、画面上で《事件》が起こらないことがあると先述した。時計とは無論、時間と結びついている。時間について、2人の捉え方が異なっていることを示す箇所が2つある。

1つは、『リズ』劇中の3年生(みぞれたちの代)の多くが部の方針に反発し大量に退部した事件についてだ。このとき希美も退部したのだが、みぞれには声をかけなかった。『ユーフォ』劇中で《事件》となり、みぞれのトラウマとして描かれたのはまさにそのことだった。これについて希美は、昔のこと、と言うのだが、みぞれは、私にとっては今、というような旨のことを述べる。クライマックスも近いシーンのやりとりであり、この付近でピンクの腕時計がアップで映る。

だが、大事なのはもう1つの、コンクールに対する思いの違いだ。

 

《事件》なしに時間は進む。又は彼女たちに許された特別な時間の終わり

希美は自由曲「リズと青い鳥」を演奏できるコンクール本番が楽しみであると語るが、みぞれは内心、本番なんて来なければいいと考えている。先ほどは時間の長さへの認識のズレだったが、ここでは来るべきある時間に対する認識のズレがある。

このズレは2人の心情の差異を示すだろう。とはいえ、楽しみ/来なくていいという思いはほとんど意味をなさない。何故ならば、楽しみにしていようがいまいが、時間が経てば本番はやってきてしまうからである。

先ほど、『ユーフォ』の特徴として続けざまに起こる《事件》を挙げたが、《事件》自体のシーンが排除された『リズ』を覆うのはこの否応ない時間の経過というテーゼである*7。時間は流れ、オーボエパートの後輩・剣崎梨々花(杉浦しおり)はオーディションに落ちるしみぞれたちと一緒にプールに行く。

 

コンクールの終わりは、3年生の部活引退を意味している。その後に待つのは次の進路に向けた活動(受験や就活など)と卒業式だ。

学校というのは不思議なところだ。ほとんど試験結果で測れる学力のみによって均質性を保証された生徒らが、同じような教育を受ける場であり、その他の要素は切り捨てられる。これは、特別なものと凡庸なものが同じように見せかける詐術の働く場を提供することになる。そして、特別/凡庸の対比は、『ユーフォ』で幾度となく繰り返されてきたテーマである。このテーマをハッキリと引き継いでいた故に、『リズ』は『ユーフォ』の正当なる続編であった。

 

高坂麗奈は、プロのトランペット奏者を父に持ち、彼からの英才教育を受けて育った。彼女のトランペットの腕前は超高校生級であり、1年生でありながら3年生で部のエースであった中世古香織茅原実里)を差し置いてトランペットソロの座を掴むほどだった。

そんな彼女の口癖は「特別」である。それが初めて明確に口に出されるのは『ユーフォ』1期8話である。

「私、特別になりたいの。他の奴らと同じになりたくない。だから私はトランペットやってるの。他の人と同じにならないために。」

これに対し、久美子は「トランペットやってると特別になれる?」と訊く。麗奈はこう返す。

なれる。もっと上手くなれば、もっと特別になれる。

自分は特別だと思ってるだけの奴じゃない、本物の特別になれる。

(『響け!ユーフォニアム』8話「おまつりトライアングル」より)

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『ユーフォ』にはもう1人、麗奈とは反対に「特別」であることに対する思いを口にしないが、周囲から「特別」と評される人物がいる。3年生で低音パートリーダー田中あすか寿美菜子)である。本心が見えず、何でもそつなくこなしてしまう万能の天才。だが彼女の話は今回の主眼でないので触れるだけに留める。

この「特別」というキーワードが、『リズ』においては童話「リズと青い鳥」の、青い鳥の人間にはない空を飛ぶ才に重ねられながら語られていく。

 

青い羽根を持つ=特別であるということ

『リズ』は当初、みぞれの視点に寄り添いながら進んでいく。これは冒頭で階段に腰掛ける姿がやたらと長く描かれることや、希美と2人で歩く際も2人を引きで収めたカメラから不意にみぞれ視点にカメラが切り替わることからも明示されている。

「私たちみたい」であるとして「リズと青い鳥」の物語が2人に重ねられるとき、孤独だったリズの生活に光を与えた青い鳥は希美に重ねられる*8。これには2人の過去が関係している。希美は、中学時代に友達のいなかったみぞれに声をかけ吹奏楽部に誘った。だからみぞれは吹奏楽部に入ったし、音楽を続けている。

物語の最後でリズは、青い鳥を逃がしてしまう。この別離は、みぞれのなかでは彼女が1年生のときの大量退部事件と重ねられる。知らされぬまま不意の出来事として希美=青い鳥を失ってしまった記憶と。そしてこの記憶ゆえに、自分をリズと重ね合わせていたみぞれは、青い鳥を逃がす気持ちが分からないからソロパートをどう吹けばいいのかわからないと苦悩する。

 

ここでは、みぞれの内に存在している、リズか青い鳥を分けてるものは人間関係を構築できるかどうかであるという論理が提示されている。南中時代は部長を務めた希美とそうでないみぞれ。部活帰りにフルートの後輩たちと一緒にファミレスに寄っていく希美とそうでないみぞれ。

私にとって希美は特別。大切な友達。私、人が苦手。性格暗いし、友達もできなくてずっと1人だった。

希美はそんな私と仲良くしてくれた。希美が誘ってくれたから、吹奏楽部にも入った。嬉しかった。毎日が楽しくて。でも希美にとっては私は友達の中の1人。沢山いる中の1人だった。

(『響け!ユーフォニアム2』4話「めざめるオーボエ」より)

しかし、本当にそうだろうか。希美が退部して以降も、みぞれは同じ南中出身の吉川優子(山岡ゆり)と仲良くしていた。少なくとも麗奈の目にはそう映っていた。みぞれが希美と遭遇し思わず逃げ出したときも、彼女を見つけた優子は「私には希美しかいない」と言うみぞれに、「なんでそんなこと言うの……そしたら、みぞれにとって私は何なの!?」と激怒している。

また『リズ』においてもみぞれは、希美の仕方とは異なるだろうが、仲良くしたいとアプローチをかけてくる後輩の梨々花と徐々にではあるが友好的な関係を築いている。多分、卒業式のときには抱きつかれて泣かれそうなくらいには。

だからみぞれの心の内にある論理は破綻しているし、実際、青い鳥は希美ではない。

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リズの孤独を救った青い鳥を逃がそうと考え始める契機は、青い髪の少女が青い鳥であり、自分にはない空を自由に飛んでいける才のあることに気づくことである。だからリズと青い鳥を分かつのは、誰かにとっての特別というのでなくもっと明確なもの、能力を持つ/持たないの差、『ユーフォ』の言葉で言えば「特別」かそうでないかの差である。

そして吹奏楽において特別なのは、2人の間であれば間違いなくみぞれに軍配が上がる。希美とみぞれは、示し合わせたわけではないが進路希望調査を白紙で提出していた。しかし、滝が外部指導員として呼んでいる新山聡美(桑島法子)が、白紙で提出したことを聞いたとして音大を勧めパンフレットを渡したのはみぞれだけだった。

『ユーフォ』においても、希美が特別でないことは触れられている。田中あすかに許可を求めたい理由を「特別だから」と、特別の領域から少し引いたように答える場面もそうだし、何より花火大会のときの麗奈の発言が最も象徴的だろう。

辞めた方が悪い。辞めるってことは逃げるってことだと思う。

逃げたのが、嫌な先輩からか、同級生からか、自分からか分からないけど、とにかく逃げたの。私だったら絶対逃げない。嫌ならねじ伏せればいい。

私達は全国に行こうと思ってる。特別になるって思ってるんだから。

(『響け!ユーフォニアム2』1話「まなつのファンファーレ」より)

この台詞はこう言い換えられるだろう。「特別」であったなら、当時の部の空気がどうであったとしてもそれをねじ伏せられるはずであり、それができなかった時点で希美は「特別」ではなかったのだ、と。

 

また『ユーフォ』を持ち出すまでもなく、希美が青い鳥でないことは『リズ』から冒頭されていた。彼女は校門からすぐ近くの階段を登ったところで、綺麗な青い羽根を1枚見つけて拾いあげ、みぞれにそれを渡す。

このシーンは、青い鳥である希美がリズであるみぞれに施しをするシーンにも見えるが、それはミスリードだ。童話「リズと青い鳥」において、部屋に落ちている青い羽根に気づき拾いあげるのはリズであり、この行為により希美はむしろリズと重ね合わされているのだ。

 

断絶を顕在化する演奏

みぞれは新山との会話のなかから、青い鳥の視点でソロパートを解釈し表現することを思いつく。そしてある日の練習で、みぞれは第3楽章をやってみたいと滝に進言し、彼女の新解釈による第3楽章が披露される。

この演奏が、また何とも素晴らしい演奏となっている。演奏後に、複数名の部員が駆け寄り「感動しました」といった旨を伝えるぐらいには。しかしこれは、この上なく残酷な場面でもある。

 

直前に希美が「わたし、音大行きたいのかなあ」と吐露するシーンがある。希美は、みぞれだけが新山から声をかけられた、みぞれが上手いことは分かっていると口にする。この発言を引き出したのは、麗奈と久美子が違うパートなのにおそらく遊びのようにやってみせた第3楽章の演奏を聴いたことである。

希美は音大に行かない理由として、フルートは好きだが好きとそれで生きていくのは違うというものを挙げる。特別であるということは、それで食べていくということ、つまりそれを「実弾」に出来るということ。それが自分には出来そうにない、と希美は口にする。

のびのびとしたみぞれのオーボエソロは、希美のほのかに感じていたみぞれとの差を顕在化する。『ユーフォ』において一体感の訪れる瞬間であったはずの演奏は、『リズ』においては分断・断絶を象徴する《事件》として表れてしまう。そしてこれが、『リズ』においておそらく唯一と言ってもいい《事件》である。

 

みぞれのオーボエは確かに私たちの感情を揺さぶる。しかしその感情は既に、みぞれが壁を打ち破れたことへの祝福でも、演奏そのものの素晴らしさへの賛辞でもない。圧倒的な断絶を軽く提示されてしまったことへの物悲しさである。第3楽章のソロパートは、オーボエとフルートの掛け合いが大事だ。しかし、こんな演奏をされては、そこにどんなフルートの音色を乗せられよう。

残酷な現実そのものとも言えるオーボエの音色を前に、希美は震える息でフルートを吹き抵抗するが、それはもう何の慰めにもならず、彼女は涙し、音楽室を抜け出すほかない。

 

テレビシリーズで有耶無耶にされたもの

みぞれは希美のもとを訪ねる。希美は、「わたしに遠慮して本気出してなかったんだね」とみぞれに言う。みぞれを遠ざけるように。

これは別に、くだんの演奏だけのせいではない。彼女がみぞれに嫉妬しているというのは、原作ではたびたび言及されてきたことらしい*9し、嫉妬していると思しき場面は『リズ』の中でも描かれている。具体的には、みぞれが新山から音大を勧められたことを聞いた場面がそうだ。つまり、前々から思っていたことがとうとう言語化されただけに過ぎない。

その言葉を受けてもみぞれは、希美が自分にとっていかに特別かを話す。そして、ハグしてお互いの好きなところを言い合う大好きのハグを求める。

さまざまな箇所を挙げながら「希美の全部が好き」というみぞれに対し、希美は「みぞれのオーボエが好き」とだけ答える。

 

みぞれはずるい。自分には飛ぶ才があり、それは誰しもが欲するものであるのに、本人はそれに対しあまりにも無頓着だ。

優子や梨々花といった人たちにも囲まれているのに希美を特別視し、彼女にあまりにも多くを期待し、持たせようとしすぎている。はっきり言ってしまえば「重い」。「希美のしたいことが、私のしたいこと」とまで言う。

 

上述のような性格や発言から、みぞれの闇がフォーカスされがちだが、希美のそれもかなり深いものと思われる。

何故ならば、そんな重いみぞれは自分に比べ物にならないーーと希美は思うだろうーー才能を持っていて、しかしあまりにも自分にベッタリしている。そのみぞれは、内心で何を思っているかわからない。

希美は梨々花に「のぞ先輩って、鎧の……じゃなくて、鎧塚先輩と仲良いですよね?」と訊かれ、「だと、思う」と曖昧な返事をするし、どこかでみぞれがまだ退部事件とその後の復帰を許していないんじゃないかと恐れている。

しかしながら同時に、希美はみぞれが今のままならいいとも考えている。自分を置いていくほどの上手さを発揮するのでもなく、また交友関係を広げるのでもなく。希美は、みぞれをプールに誘った際、みぞれが「他に誘ってもいい?」と訊いたことを受けて、一瞬顔が曇る。また、みぞれがフグに餌をあげていると言った際、「リズと青い鳥」中でリズが動物にパンをあげていることから希美は「リズみたい」と言う。不自然なほどに間髪入れず。

 

このフィルムが素晴らしかったのは、はっきりとしたセリフでなく世界観や人間関係を物語っていき、圧倒的な断絶である演奏シーンを描くことができたというのは言うまでもなくある。

しかしそれだけでなく、『ユーフォ』においては最終的に良い話だったよね、と有耶無耶にされていた2人の内面その暗い部分にもしっかり触れていた、いやだからこそ上記の演奏シーンになったということもまた素晴らしかった。

またこれらを黄前久美子という探偵なしに成り立たせたことも。

 

ラストシーンを前に、2羽でくっついたり離れたりしながら飛ぶ鳥が映る。またエンディング曲には、2本の線がくっつりたり離れたりという歌詞が存在する。あのような断絶のあとには、そんなありきたりな言葉はあまりにも軽く聞こえてしまう。

しかし、だからと言ってこのまま2人が悲しい別れを迎えると考えるのもまた早計なのだろう。

 

帰り道、2人はスイーツを食べようという話をしている。何が食べたいか。パフェ、パンケーキ、お団子。2人は「コンクール楽しみ」と同じタイミングで口にする。

音楽室の床に毛布を敷いていたとき、加藤葉月朝井彩加)と川島緑輝豊田萌絵)の会話。2人が同じタイミングで同じことを言ったとき、先に「ハッピーアイスクリーム!」と言った人は言わなかった人からアイスをご馳走してもらえるというゲーム。

みぞれは「ハッピーアイスクリーム!」と叫ぶ*10が、その会話を知らない希美は「アイス食べたいの?」と訊き、ここでもまた単に希美とそのゲームをしてみたかったみぞれと思いはすれ違っている。

だがこのすれ違いは、前のそれとは違う。

・みぞれの発言が元であり、それが帰ってくる前に希美が早合点したものではないということ

・みぞれもその勘違いを微笑みながら受け入れていること

この2点は、2人が模索してまた築いていく今までとは別の関係性の萌芽でもある。

 

 

*1:自由曲「リズと青い鳥」は、このパートばかりが演奏される。まるで他の部分は主眼でないことをアピールするかのように。

*2:例えば、『ユーフォ』1期12話の久美子の疾走。

*3:例えば、元ももいろクローバーZのメンバーである有安杏果Wikipediaページには次のような記述がある。

「グループへの加入が最後であったことや、キッズダンサー時代から表舞台での"オン"と楽屋での"オフ"を意識してきたことなどが影響し、ももクロの自由奔放な雰囲気に対しては距離を置くことが多かった。/しかし2012年の鳥取県米子市でのライブ終了後、「もっと輪の中に入ってきてほしい」と思っていた他のメンバーたちは有安と話し合いの時間を持ち、互いの気持ちをぶつけ合った。これがきっかけで、お互いがパーソナリティを深く理解し合えるようになり、有安も自分のペースで自然とグループの雰囲気に溶け込んでいった。この出来事は「米子の夜」としてファンに知られている。」

物語性を強く望まれるアイドルのページにこのような記述があることは、本音をぶつけ合い理解し合うストーリーがいかに好まれるかの証左になりうるのではないか、と思う。

*4:山田尚子の評価については、次のリンクを参照。「天才」の呼び声高く......『聲の形』山田尚子監督は『けいおん!』も手がけたヒットクリエイター - トレンドニュース

*5:花言葉は「あなたを想い続けます」。

*6:全国大会で北宇治は同賞に終わるが、全国大会編で重要なポジションを担う田中あすかは、審査員でもあった日本を代表するユーフォニアム奏者である父から最大限の賛辞ととれる言葉を贈られる。

*7:この「時間の経過」というテーゼ又はモティーフは、図書館で借りた「リズと青い鳥」の返却期限が過ぎていて、みぞれが図書委員に怒られるシーン又は同じ本を借りようとして前回の延滞を蒸し返されるシーンにも通じるだろう。

*8:だからこそ最初、先を歩く希美は階段でみぞれより高い位置におり、そのさまがみぞれ視点のカメラで映されるのだろう

*9:原作は未読なので憶測でしか書けないのは、私の勉強不足の結果でしかない。

*10:このシーンは、『ユーフォ』2期1話において麗奈が「3秒ルール!」と嬉しそうに叫ぶシーンの反復でもあるだろう。

蟄居のすすめ、本のすすめ

ゴールデンウィークがやってきた。

5月1、2日を休めば9連休。その上で4月27日を休んでいれば夢の大台10連休である。

 

嬉しい楽しい連休だけれども、旅行の予定を立てたくもなるけれど、休日はどこも人が多い。人混み。人混み。人がゴミのようだ。連休なら尚のことそうだろう。

こんなときは蟄居ちっきょするに限るーーと言いたいところだが、そんなことを言われても、何をすればいいのか困るというのが正直なところかもしれない。

昼間から酒を飲むにしても、酒と肴のみで時間を潰すのは余程の酒飲みでなければ難しかろう。昼間から酒を飲むのはぐーたらしたいからであって、そのぐーたらを演出するためのアイテムが他にもいるはずだ。

 

そういうときに相性が良いのは映像コンテンツだろう。DAZNでスポーツを観ながら、あるいはNetflixAmazon Prime Videoで映画やアニメを観ながら酒を飲む。大いに結構だ。しかし私はそれらの内1つも契約していないので、オススメを紹介することができない。

また酒自体を紹介しようにも、そもそもの酒に弱い体質ゆえに「開拓」というものをしないから、紹介できるストックがない。

そこで今回は、同じくコンテンツであることにかこつけて、本を何冊か紹介したいと思う。本選びやこの既にスタートを切った連休の過ごし方選びの助けになれば幸いである。

 

なお今回は、普段そんなに読書しない人を対象としている。いわゆる読者家たちは、こういう記事を読まずとも自分で読みたい本を選び勝手に読みふけっているだろうからだ。自分がどちらに属するか分からないと思うなら、当記事の最初の数冊(又は1冊)のコメントを読んで判断してもらってもよいだろう。なんというか、「ああ、そんな感じね」となる気が、なんとなく、する。

そのようなコンセプト故に、短めでかつ価格帯も安めの本を選んだ。「全部読み切るぞ」などと気張らない限り、そこまでの出費にはならないし、読みきれないこともないはずだ。

 前置きが長くなった。では、紹介していく。なお紹介は、「文庫編」と「単行本編」に分けて行ない、文庫編では、文庫本とコミックを、単行本編ではハードカバーの本を扱う。

 

文庫編

 

住野よる『君の膵臓をたべたい』双葉文庫、720円)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

はい、いきなりヒット小説乙~wwwと骨董品みたいなネット用語での罵倒が聞こえてきそうだが、始めにこれを紹介したい。2017年に浜辺美波北村匠海のダブル主演で実写映画化され、2018年にはアニメ映画が公開予定の「キミスイ」。

これはいわゆる「難病モノ」だ。恋愛と難病/死というのはいつも人気を集める題材だが、ゼロ年代は特に多かった。「乙~w」なんて言っていた頃の話だ。

ネット小説発で、難病モノで、Mr.Childrenが主題歌というとケータイ小説『恋空』が頭をよぎる。ケータイ小説には、J-POPの歌詞や雑誌の投稿欄におけるエピソード告白からの色濃い影響がみられる*1。しかし「キミスイ」の場合、ヒロイン桜良さくらの口調や「僕」の視点での地の文などからはむしろライトノベル、キャラクターノベルからの影響がみられる。文体としても、詩のような形でなく、小説風のまとまった散文形式になっている。だから読みやすい。印象に残りやすいタイトルも含め、よくできている。

似ているとしたらアレに近い。「ゲーセンで出会った不思議な女の子の話

 

中沢健『初恋芸人』ガガガ文庫、640円)

初恋芸人 (ガガガ文庫)

初恋芸人 (ガガガ文庫)

 

25歳童貞の怪獣オタク芸人佐藤が市川理沙に初恋をする、ただそれだけの話だ。ピュアと意気地なしはどうやら紙一重らしく、そのウジウジさにもやもやする。読んでいて気分が晴れるものじゃない。

佐藤は、良くある初恋と同じく舞い上がり落ち込む。しかし理沙は学生ではないし、舞台も学校ではない。格上のライバルはごまんといる。恋愛に不慣れなことの残酷さと悲しさが描かれている。芸人と冠しつつ明るいコメディではない。

滝本竜彦とか銀杏BOYZとかにハマったことがある人は、一度読んでみてはいかがだろうか。

ちなみに『初恋芸人』は2016年に柄本時生主演でドラマ化されている。市川理沙役は元SKE48松井玲奈。『100万円の女たち』といい、彼女は童貞を殺せそうな役が多いのか……?

 

宮崎夏次系『変身のニュース』(モーニングKC(講談社)、669円(Kindle版540円))

変身のニュース (モーニング KC)

変身のニュース (モーニング KC)

 

少し趣向を変えて漫画を紹介しよう。宮崎夏次系の短編集だ。 

まず表紙がキュートだ。タイトルも素晴らしい。何が起こる=変身の予感はあるが、実際にあるのは一報ばかりであり、それは身の回りに訪れない。そんな平凡な残酷さがが短いタイトルに表れている。

桐島、部活やめるってよ』にも似たエモさがある。この「エモ」を他の言葉に置換しようとするとそれだけで記事が1本できてしまうのでここでは「エモい」という安易な言葉に逃げこませてほしい。特に「成人ボム、夏の日」がエモい。エモエモだ。

 

綿矢りさ勝手にふるえてろ(文春文庫、594円)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

 

松岡茉優主演で映画化もされた作品。映画も原作からうまく脚本に落とし込んでいて大変に楽しめたが、小説にも小説の魅力がある。

綿矢りさの魅力の1つにあるのは、デビュー作『インストール』(河出文庫、410円)の頃から、自己省察と他者の観察の過程をはっとする言葉で提示する、その言葉の力だと思う。痛々しいヨシカの暴走の中に乗っかっていると、そんな言葉に出会い、そのページから目が離せなくなる。これは小説でなければ味わえない。

 

町田康パンク侍、斬られて候(角川文庫、691円(KIndle版、465円))

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

パンク侍、斬られて候 (角川文庫)

 

諸国を流浪する凄腕剣士が、悪徳新興宗教「腹ふり党」が跋扈して困っているとある藩で雇われ、邪教の蔓延を阻止すべく頑張る――これだけ見ると普通の時代小説なのだが、タイトルがいかんせんパンク侍なのだ。パンク侍とはこれ如何に。

そして上記のあらすじだが、そもそも「腹ふり党」は主人公・十之進の虚言であり、しかしそれは実在し数年前に解体されていたことが発覚する。死刑になりかけた十之進は偽の「腹ふり党」をでっち上げることにする……と、まあむちゃくちゃだ。挙句、江戸時代の話のはずなのに、「夏目漱石の『吾輩は猫である』は読んだか?」なんて会話が出て来るのだから、時代考証もなにもあったものじゃない。

では、つまらないかというとそうではない。抜群に面白い。会話一つをとっても面白いし、嘘が嘘を呼ぶドタバタっぷりも面白いし、それ自体が壮大な皮肉になっているのも面白い。

流行り言葉で言うと「クセが強い」ため、あまり人に勧めるような小説ではないと思う。けれど紹介したのは、6月30日に綾野剛主演、宮藤官九郎脚本、石井岳龍(聰互)監督で実写映画が公開されるからだ。流行には乗っていきたいところだ。

 

単行本編

 

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』KADOKAWA、1,350円)

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
 

 斜に構えていたという若林が、一歩そこから踏み出し、出来事や人に寄り添うように書いたようなそんな旅行記に仕上がっている。行き先は、資本主義国日本の首都であり広告の溢れる街・東京とは大きく異なる共産主義国キューバ。だから、どんな旅行記も日常を相対化するものだが、その度合いが否応にも大きくなる。

しかし彼は、そんなキューバに変に肩入れをするでもない。革命博物館を見て、魅了されそうだと書きつつ、「そうだ」と書く時点でそこから距離をとっていることが分かる。やはり斜に構えているのか、と思えば、しかし現地の人と食卓を囲い、くだらない失敗談でガイドと大笑いする。そこには確かに、等身大の血の通った交流がある。

このバランス感覚や肩ひじ張らなさが見事な旅行記。1章が短いから小分けにしても読みやすい。

 

文月悠光『臆病な詩人、街へ出る』(立東舎、1,728円)

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

 

八百屋に行ったことがない、「臆病な詩人」の「私」(著者)が、編集者に乗せられ様々な体験をするなかで感じたことを文章にしていく――という形をとった連載。まずこのコンセプトが面白い。

だがこれは、出歯亀的精神を慰めるためだけの文章ではない。若い女性の珍道中ではない。1人の人間が悩み、発見していく営みである。

それを先ほども述べた面白い形式で、リーダビリティ高く作品化してくれている。

 

海猫沢めろん『キッズファイヤー・ ドットコム』講談社、1,404円) 

キッズファイヤー・ドットコム

キッズファイヤー・ドットコム

 

これは子育て小説である。ホストの。

物語は、歌舞伎町にあるホストクラブ店長の白鳥神威の家の前に赤ん坊が捨てられていたことから始まる。母親に心当たりはないが育てることを決意した神威は、クラウドファンディングで育てることを思いつき実践していく。

荒唐無稽な話だ。ホストのキャラ造形から赤ん坊との出会い方、その後の展開まで。しかし馬鹿らしさを薄皮一枚めくれば、現代における子育ての苦悩や問題がしっかり描かれている。

また、ホストの荒唐無稽さだけで終わらぬよう姉妹編として少し大きくなったくだんの赤ん坊の話が併録されているのも、批評性があって良い。

深刻な諸問題を扱いつつも、物語に乗せて読みやすく、そして心に染みやすくできるのは、フィクションの力である。

 

 

以上、文庫編5冊と単行本編3冊の計8冊を紹介した。いかがだっただろうか?

自分自身で振り返ってみると、文庫編については、「メディア化作品挙げとけばええやろ」というような一種の開き直りが透けて見える。まあね、刷られるからね、本屋でも見つけやすくなるからね、とか自分に言い訳して……。

 

ゴールデンウィークに、という趣旨は何処へやら。思いのほか投稿が遅くなった。

ビジネスにはスピード感が肝要とはよく言われるが、私もKindleでビジネス書を読み、こうそくいどうで素早さをぐーんとあげるべきなんだろうか?  なんて考える今日この頃。

今日この頃、みなさんはいかがお過ごしだろう?

この記事で蟄居勢が増えたらば、私も人が減ったことに乗じて外出できるので、幸いである。

 

 

*1:速水健朗(2008)『ケータイ小説的。――"再ヤンキー化"時代の少女たち』原書房

ちはやふる「上の句」「下の句」感想: 須藤のDは大爆笑のD

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「結び」が公開されてしばらく経った今日このごろ、映画『ちはやふる』の「上の句」「下の句」をようやく観た。漫画もアニメも触れたことがなかったので、今回が初『ちはやふる』となった。

全体的な感想をまず先に言うと、それなりに楽しく観ることができた。

青春映画、スポーツ映画、エンターテインメント映画、そして広瀬すずのアイドル映画として超高水準だった。

ちょっととは言えない文量になる予感はするが、この映画についてちょっと記事を書いてみようと思う。

 

この作品のメインを問われれば、綾瀬千早(広瀬すず)たち瑞沢高校競技かるた部(以降、かるた部)部員のキャラクターそのものや成長、千早vs若宮詩暢しのぶ松岡茉優)、チームちはやふるの3人などになるだろう。

それらについて語れることはいくつもある。しかしここでは、そこから少し傍流になるが、作品を確かに彩ってくれたもののあまり言及されない人たちについて語りたい。

北央高校かるた部のみなさんである。

 

北央高校は東京都の中高一貫校の高等部だ。映画の前編開始時点では5年連続で全国大会出場を果たしており、都立高校である瑞沢高校のライバル校という立ち位置になる。

だから、人気作品であればあるほどそのライバル部員たちのキャラクターも立っていて当然なのだが、それにしても映画での彼らは凄まじかった。

北央高校の部員は数多く登場するが、映画中で名前があるのは2人だ。
(前編の東京都大会決勝で名前を呼ばれるレギュラーメンバーや千早が出稽古した際の対戦メンバーは除外している)

部長の須藤暁人(清水尋也)とその信奉者である木梨浩(坂口涼太郎)である。
ここからは、彼らの活躍を、シーン順に振り返っていこう。

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北央高校の面々が初めて登場するのは前編「上の句」の中盤。ゴールデンウィークに実施した合宿で、千早が須藤と対戦するシーンだ。
千早は最初のあいさつで須藤の顎に頭をぶつけてしまう。「すみません」と謝るが、須藤は千早に「ごめんなさいは?」と執拗に「ごめんなさい」を要求する。
このとき、隣では木梨と瑞沢高校の机くんこと駒野勉(矢本悠希)が同様に対戦前なのだが、木梨はいきなり割って入ってきて、聞いてもいないのに「須藤のSはドSのS!」と他己紹介する。この割って入って来るときの躍動感が素晴らしい。 

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少女漫画のドSキャラはそのSっぷりが誇張される傾向にあり、たいていのやつは頭がおかしいことになっているのだが、須藤も例外ではない。しかし、千早との対戦中に見せたヤバいドSっぷりの上を行くヤバさを隣で対戦していた木梨は見せてくれる。
試合終了後、完敗し呆然としている千早の顔を覗き込むようにし、
「須藤さん、彼女いるから。勘違いすんなよ」
いや、なにを以て勘違いすると思ったんだ……教えてくれ……。
そしてたびたびカメラに映り込むけれど、決してピントが合うことはない机くん。すべてが最高だった。

 

次の出番は都大会の決勝戦
全国常連の前評判は伊達じゃなく、くだんの机くんが激萎えモードで気が気でなく試合に集中できない瑞沢高校かるた部は、次々と札を取られていく。

すると須藤「ナメた真似しやがって」となんだか正論。あれ?  こいつ、ドSとか言いつつただの熱いやつなのでは?  という疑念がここで湧いてくる。ちなみにこれが、後編のある展開の伏線になっている。

試合の方は劣勢にあった瑞沢だが、途中から息を吹き返し、特に千早は猛然と札を取り始める。広瀬すず無敵映画の所以たるシーンのひとつだ。

西田優征(矢本悠馬)と千早が勝ち、机くんと大江奏(上白石萌音)負けの2-2。試合は、真島太一(野村周平)と木梨の運命戦*1までもつれ込む。今まで運命戦で自陣の札が読まれたことは一度もない太一は、読まれないなら――とばかりに相手陣の札を取りに行き、それが木梨のお手つきを誘い、太一の勝利そして瑞沢高校の全国大会出場が決定する。

この一戦で印象的なのは木梨の号泣である。たしかに、甲子園でエラーでサヨナラになった選手の泣きっぷりに相当するくらい泣く権利が彼にはある。しかし、前の須藤の腰ぎんちゃく的なお茶目っぷりしか知らないから、彼の泣きっぷりは正直ビビる。

ここで映画が初ちはやふるの私は、木梨が使い捨ての謎キャラでなく血の通った人間としてちゃんと描かれるキャラなのだな、と気づくことになるのだが、これ以降、特に彼の活躍するシーンがあるわけではない。頑張れ、木梨。

(木梨メインで触れたが、このシーンは瑞沢視点でも当然めちゃくちゃ名シーンであり最高のシークエンスだ。これについては、あとで触れる)

 

後編「下の句」に入り、千早は師匠の原田(國村隼)から現クイーンである若宮詩暢の話を聞く。詩暢もまた高校生であり、全国大会団体戦の翌日に行われるA級個人戦に出場するだろうから、同じくA級の千早は彼女と対戦できる可能性がある。

このことに気づいた千早は部活そっちのけで詩暢対策に熱中し、いろいろなところに出稽古に行く。その流れで北央高校にも顔を出す。練習試合。千早の最初の相手は須藤。

千早は5人を相手に試合をし、全敗。左利きの詩暢対策に熱を上げ過ぎた結果、彼女のかるたはガタガタに崩れていたのだ。そんな千早に対する、めっちゃ怖い目をしてわらわらと並ぶ北央高校男子部員のみなさま。 このシーン、ヤンキー映画やヤクザ映画のヤバげなシーンみたいでぶっちゃけかなり怖い。須藤の左後ろの坊主とかKA-TUNにいたJOKERさんこと田中聖に見えるしK.O.劇になりそう。

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須藤が怒る。「ヒョロ、あれ持ってこい!」。

この台詞に反応する木梨……え、お前、ヒョロってあだ名だったの!? と映画が初ちはやふるの私がここで知ることになる衝撃の事実*2

「あれはマズいですよ」といった反応と須藤のキャラをドSであるってことくらいしか知らないということから、え……これ、エロマンガだと特異な拷問器具とか変な薬とか出て来そうな展開じゃん、大丈夫かよ少女漫画……とか心配になったが、もちろんそんなことはなくて大丈夫じゃなかったのは私の頭だった。

持ってきたのは「全国大会対策資料」――歴代の先輩が、会場近隣のホテルの情報や読手どくしゅのクセ、各学校の特徴などをまとめ、つないできたファイルだった。

「自分だけでかるたしてると思うのはお前の自由だ。でもお前はこれからもずっと瑞沢かるた部だ。東京の代表が果たすべき責任は、お前らだけのもんじゃないってこと忘れるな」

え……須藤、やっぱりお前めっちゃ熱くていいやつじゃん……ドSキャラどうしたんだよ……。

ちなみにこのあと千早は、ファイルを受け取ると、走って太一の家まで行く。遠くの大会に出ていた太一は夜遅くまで帰ってこず、雨も降ってくる。それでも千早は太一の家の前で座り込んだまま傘もささずに彼を待つ。だから、あんなにも感動的に渡されたファイルはたぶん一度ここでびしょ濡れになっている。頑張れ、北央……。

 

このあと団体戦等があるが、北央高校は出てこないのですっとばして個人戦A級戦。

 瑞沢高校からA級戦に出場するのは千早、太一、西田の3人。このうち詩暢に敗れた西田を除いた2人は順当に勝ち上がり、とうとう千早は詩暢と当たる。

そして太一の対戦相手として目のまえに現われたのは――須藤だった。

いや、分かるよ。千早の対戦相手だけ映して太一のを映さないのは不自然だし、映すならそれまでに登場しているキャラじゃないと興ざめ感あるもんね。強豪校でメインを張っている須藤ならばA級戦にいても不思議じゃないし。

前のシーンで株を急上昇させたそんな須藤は、太一に対して、静かな声でこう言った。

「この世に言い残したことはないか?」

……は?  え、須藤さん、何イキってんすか?

もはやそのセリフに、ドS要素はなく、ただのイタイ人だった。なんか一人だけ闇のゲームを始めようとしている。たぶん近江まで来る電車の中が暇すぎて遊戯王とか見てたら影響を受けちゃったんだと思う。遊戯王に影響受ける高校生、可愛いかよ、と思ったけどやっぱりそんなことねえわ。ただのイタイ子だわ。

ちなみに、劇中の須藤のセリフはこのイキリセリフが最後。太一との対戦結果も明かされない。頑張れ、須藤……。

 

以上、前後編2シーンずつ計4シーンで笑いを提供してくれた北央高校のみなさんの紹介だった。北央、ファイト。

さて、このままでは『ちはやふる』を延々とディスって終わったみたいになってしまうので、最後に褒めて記事を締めたいと思う。

 

まず前編。これが完璧。

冒頭はキャラや競技かるたをコミカルかつテンポ良く紹介してくれる。これが小気味良い。特に西田の「モテ部」「エア・K!」は、このシークエンスをどのようなテンションで見れば良いか明示してくれるのでストレスがない。これがエンタメとしては非常にありがたい。

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前編は瑞沢高校かるた部の面々がチームになるまでの物語であり*3かつ凡人たる太一(と机くん)の物語でもある。

東京都大会で机くんは全然勝てない。不甲斐なさ故に彼は「いてもいなくても同じ」だとして帰ろうとする。千早の説得も暖簾に腕押しと言った中、彼を止まらせたのは太一の「俺だって才能なんかない。必死にやってる」という言葉だった。

試合が始まっても地蔵のように動かない机くんは、しかし千早が意図的に飛ばした「はなよりほかに しるひともなし」*4の札から、かるた部との思い出が脳裏をよぎる。そして登山のとき千早から伸ばされた手。これを機に机くんは地蔵モードをやめ、そして全員で札を取る。このシーンの気持ちよさったらたまらない。

 

だが、このシークエンスおよび前編の主人公はなんといっても太一である。運命戦までもつれ込んだ勝負で、太一は相手陣にある「からくれなゐに みずくくるとは」の札を取るべく素振りを始める。実は影響中盤で、太一は素振りをしない、と机くんから指摘を受けていた。彼がかるた部に役立つよう自主的に行った分析がここで活きてくるのがまず熱い。

また、「からくれなゐ」の上の句は「ちはやふる かみよもしらず たつたがわ」つまり「ちはや」の札でもある。だからこれは、何としても「ちはや」を取るというダブルミーニングになっている。

そもそも彼が運命戦で札を読まれないのは、過去の罪により神さまから見放されているからである、とされる。そしてその罪とは、小学生の頃に授業の一環で行われたかるた大会で綿谷新(真剣佑)という永世名人の孫で鬼強い天才に負けたくない、千早にカッコ悪いところを見せたくない一心で、新のメガネを隠してしまったことだとされる。つまり、彼が運命戦で負けることそれ自体が彼の凡人性(天才でない、才能がないこと)と分かち難く結びついている。

文章にするとこれだけ長くなる、この作中のあらゆる部分が、読手の「ち」の音が聞こえた瞬間に動き出した太一の手に集結し、その気迫がヒョロのお手付きを誘ったというのは、物語的にも作品の出来的にもすこぶる素晴らしく、感動的だ。前編が太一の「今の俺には"ちは"しか見えない」で終わるのはやはり完璧。

 

後編はどうしても前編ありきになる。単体で見るとやや冒頭が静かすぎる部分もある。今ならばストリーミングなりレンタルなりで見られるから、時間が確保できるときに間髪入れず見ることをオススメする。

前編が太一の物語だとすれば、後編は完全に千早の物語だ。

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前編の感想を長く書きすぎたのでここでは軽く触れるに止めるが、「繋がる」というテーマが、後編内で提示され、それが後編だけでなく前編も含めて回収される手さばきはやはり震えるものがあるし、これがあるからこそ、瑞沢高校かるた部は主人公格であり、かつ出番の少ない新も確かに主人公格たりえている。そしてその中心たる千早は完全に主人公なのだ。

あとはなんといっても松岡茉優が本当に良かった。詩暢の残酷なまでの強さ、それゆえの孤独、時々見せる残念さ。どの顔をとっても素晴らしかった。このあたりは、実際にご覧いただくのが手っ取り早い。

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以上が、後編にはほとんど触れていないが、前後編通じての感想だ。

あと、あえて触れずに来たが、広瀬すずは素晴らしかった。やや下を向いて眼球がめっちゃ動くシーンとかめっちゃ可愛かった。何を言っているか自分でも分からないし、言ってることは普通にキモいと思う。

吹奏楽部の演奏を聴きながらピョコピョコ動くシーンのあざとさったらすごいし、そんなんでありながら声が少しネチっと出るところ、これは男性の名前を呼ぶときに顕著で特に「太一」がヤバく*5、これが女性から嫌われがちらしい広瀬すずか、と思った。あざとい。

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兎角、先述したとおり、青春映画としてもエンタメ映画としても広瀬すずのアイドル映画としても文句ないので、これらに挙げたジャンルで何か見たい方にはオススメする。

また大々的な恋愛要素はないが、水面下でめっちゃ恋愛映画してると思うので、その辺が好きな人にも外れない映画だと思う。

スポーツ映画が好きな方にも、競技かるたは「畳の上の格闘技」と呼ばれるほど熱い競技であり、この映画はその点でもオススメできる。

 

ただ、「畳の上の格闘技」って、それ、柔道がまさにそれすぎて、あまり適切な別名じゃないんじゃないですかね……。

 

 

 

*1:互いに自陣にある札が一枚であり、どちらが先に読まれるかによって勝敗が決定する局面になった場合のことを言う。

*2:ここまであえて木梨と表記してきたが、彼に言及する際ほとんどの人はヒョロと呼んでいるようだ

*3:先述した通り、これには後編で千早の詩暢対策への熱中という形で揺さぶりがかけられる。

*4:「もろともに あはれとぞ思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし」前大僧正行尊。「一緒に愛しいと思ってくれ、山桜よ。この山奥では桜の花以外に知り合いもおらずただ独りなのだから」という寂しさの歌とされるが、劇中では、あなたがいるから強くなれるという絆の歌と読み替えられる。

*5:これは、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』のなづなの演技における「典道くん」でも確認できる。

ポプテピピック、蒼井翔太のヤバい〇〇だった説

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狂気、狂気。クソアニメ、クソアニメと評判だったTVアニメ『ポプテピピック』12話で、これまでとは比較にならない狂気が発生してしまった。

本稿は、その12話の感想文だ。以下、ネタバレを多分に含む。

 

TVアニメ『ポプテピピック』は、声優がコロコロ変わること、制作者が異なるいくつものパートから成立していること、AパートとBパートの内容が同じであることなどから、1話放送時点から話題になっていた。

そのことは、このニコニコ動画の1話再生回数が物語っている。

www.nicovideo.jp

 

その特異な構成やパロディ元、主題歌「POP TEAM EPIC」の歌詞から、このはちゃめちゃなアニメには裏があるのではないか。実はこの様式それ自体が伏線なのではないかという憶測をする人たちが現れた。

彼らは自分たちを「ポプテピピック考察班」と名づけ、放映後に自身の説をツイッター上で発表するようになった。

togetter.com

 

私は、正直言って彼らの説が当たるとは思っていなかった。

むしろ、そのような予想に対し「中指を立てる」ような展開こそが起こると期待していた。

 

けれど、3/24 25:00からTVアニメ『ポプテピピック』の12話(最終話)が放映され、その結果、果たして彼ら考察班の考察は、当たらずも遠からずな、いい線をいっていたことが判明した。

とある決定的な一点を除いては。

 

彼らの考察によれば、TVアニメ『ポプテピピック』は壮大な百合アニメであり、どのような選択肢を選んでも幸せになれないポプ子を救うべくループを繰り返すピピ美の物語であった。

つまり『魔法少女まどか☆マギカ』になぞらえれば、ポプ子=鹿目まどか、ピピ美=暁美ほむらという構図が成り立ち、そしてループはピピ美の能力によってもたらされていると考えられていたわけだ。

だが実際には、そのループは蒼井翔太の能力によってもたらされているものだった。予想できるわけねえだろ、こんなもん。馬鹿かよ。

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しかし、最終話まで見てしまった私たちは、この展開がまったくの突飛なものではないと言えてしまうし、むしろ蒼井翔太の登場は必然であるとまで言えてしまう。どういうことか。それがこの記事の主眼でもある。

 

私たちは、TVアニメ『ポプテピピック』のループ説を考える際、順当に方法順で作品世界も進行していると考えていたはずだ。

つまり、1話Aパート→1話Bパート→2話パート→…→11話Bパートというように。

そして、ピピ美は同じ「世界をリメイク」し、しかし2回以上うまくいかなかった場合、別の「パラレルワールド(に)旅して」いたのだと。

しかし12話で、世界をループさせていたのは蒼井翔太であることが判明した。そして蒼井翔太が初めて登場したのは12話Aパートであった。そのため、むしろループはここから始まったのではないかという仮説が立てられる。

つまり、1話Aパート→2話Aパート→…11話Aパート→12話Aパート→1話Bパート→…12話Bパートというように。

 

ここで、声優リセマラについて考えていこう。リセマラ回と言われた1話(Aパート: 江原正士大塚芳忠、Bパート: 三ツ矢雄二日高のり子)を除いて、AパートとBパートの声優は、女性声優ペア→男性声優ペアという形をとっていた。これは2話以降のエンディングテーマも同様である。

これにより、Aパート/Bパート=女性(声優)/男性(声優)という二項対立が導出される。作品世界は、蒼井翔太の力を借りて女性声優世界から男性声優世界に移行したのだ。

(以下に、担当声優リストの一部を貼る。WIkipedaのスクリーンショットである)

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だがここで問題が生じる。この世界の移行自体は、何の解決ももたらさないということだ。

男性が女性より優位であると言える根拠は何もない以上、男性声優世界に移行したとしてそれがよりより解決に寄与する根拠も同様にないからだ。

このままでは、女性声優世界と男性声優世界を繰り返し続けるループの監獄に陥る可能性が高い。村上春樹「かえるくん、東京を救う」(『神の子どもたちはみな踊る』所収)におけるかえるくんとみみずくんのせめぎ合いのように。*1

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

 

だから本当に望まれるのは、この古びた二項対立を脱構築することであり、それこそがループを脱出する=ハッピーエンドを迎える条件だ。そしてそれが出来るのは、性別蒼井翔太である蒼井翔太しかいない。

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そう考えていくと、新たな狂気の可能性が浮上する。

まさか、

「ループしていることにしよう」

「なら、男性声優と女性声優それぞれで組みを作って半分ずつやらせよう」

「だったら蒼井翔太がぴったりですね!」

という会議が開かれることがあるだろうか。

おそらくない。そんな都合よく事が進むわけがない。

むしろ順番が逆で、蒼井翔太ありきで12話が作られたと考えたほうが自然だ。

 

つまり、TVアニメ『ポプテピピック』は全編を通じて、漫画『ポプテピピック』(竹書房)のアニメ化という形をとった、蒼井翔太のアニメ化(実写)だったのだ!!

そしてここにこそ、最大の狂気が潜んでいる。

 

パロディの数々、AC部、世界最速再放送、1キャラに24人以上の声優をあてること、中指を立てることなんて目じゃない。
この狂気がいちばんヤバい。

 

 

TVアニメ『ポプテピピック』の企画・プロデューサーを務めた須藤孝太郎は、声優バラエティ番組『上坂すみれのヤバい〇〇』の企画・プロデューサーを務めた人物でもある。

あちらの番組も、なかなかに狂気的であった。

nuwton.com

 

上坂すみれのヤバい〇〇』が12話に渡って上坂すみれを使って遊ぶ番組であるとするならば、TVアニメ『ポプテピピック』は、蒼井翔太(が持つとされる能力)を使って12話を遊んだ、正確に名付けるならば『蒼井翔太のヤバい〇〇』であった……。

 

【最後に】

ちなみに、12話Aパートで登場した蒼井翔太は、多くの方が指摘されているが、おそらく映画『KING OF PRISM』シリーズに登場する如月ルヰのパロディになっている。

TVアニメ『ポプテピピック』の歌パートで活躍した武内駿輔が大活躍するので是非見てほしい。

 

www.youtube.com

 

*1:魔法少女まどか☆マギカ』における、TVシリーズで出現した女神としての鹿目まどかと劇場版(『叛逆の物語』)で出現した悪魔としての暁美ほむらが、互いの結論を否定し合うことがほのめかされた、現時点でのシリーズの結末もまた想起される。